日本では、ABO式血液型によって性格が違うというステレオタイプが普及しています。各血液型には、その血液型をもつ人々が共通の性格をもっていると多くの人が信じているわけです。血液型をもつ人々が共通にもっていると信じていることを血液型ステレオタイプと呼びます。大正から昭和の時代に至るまで、血液型性格判断の妥当性を検討するいくつかの研究が心理学者によって行われてきました。結果の多くは、血液型と性格の関連を見出せないというものでした。血液型と性格との関連には、科学的根拠がないのです。でも、「A型は几帳面」というステレオタイプをもつと、A型の友人の凡帳面な面だけ注目することになります。たとえば、友人がノートをきれいな字で書いている点に注目しやすくなります。「A型は几帳面」というステレオタイプをもつと、友人の凡帳面でないところを見逃すのです。友人の部屋が汚いなどは、見逃されがちになるというわけです。ノートだけ見て、A型は「几帳面」というイメージのみが確認され、「血液型による性格判断は当る」と考えてしまう傾向があるのです。
また、理数系の領域や空間認知能力において、課題遂行能力が男性と女性では異なると言われています。そこで、ある実験が行われました。この実験は、数学の成績が同等な男性と女性を被験者にして、数学のテストを行ったのです。「テストには性差がない」と教示する条件と、一般的な教示をする条件を設定しました。その結果は、驚くべきものでした。「テストには性差がない」と教示した条件では、男女の成績に差はみられませんでした。一方、性差があると教示をした条件では、女性のほうの成績が低くなっていたのです。数学のテストにおいて、一般的な男女差の教示を与えるだけで、女性の受験者がステレオタイプの脅威が生じてしまうのです。この性差の実験は、女性の数学能力に対するステレオタイプの脅威を生じさせる現象を示しました。一方、この実験は、男女の差を低減させるヒントが隠されていました。一般に、女性の数学不安については、男子よりも女子の方に高いことが示されています。小学校5年と6年生の調査では、女子は男子よりも、算数不安が高いことを示していました。さらに、女子は男子よりも算数の授業中にいやだと感じる場面が多いことも指摘されています。この不安や嫌悪の感情が、個人やクラス、そして集団や社会がステレオタイプとして備えてしまうことが日本の社会にはあるようです。
ある人々には、良くない出来事が起きたのは自分の責任だと考えて自分を責める方がいます。特に、悩んでいるときには、良くない出来事を思い出す傾向が強くなります。また心配性の方は、良い出来事が起こったときに自分が上手に対応したことを心配する人もいます。上手に対応することが、自分を甘やかすことになるのではないかと心配する人がいるわけです。失敗をしそうで不安だと考えて、慎重になるのはもちろん悪いことではありません。「そそっかしいから」とか「怠け者だから」と自分の性格を悪い方向に解釈することに問題があるのです。物事がうまくいっていないときに、自分の性格を責めても事態が好転するわけではありません。すべて自分の性格や考え方のせいかというと、そうでないケースも多いのです。どのような出来事も、いろいろな要因が影響して起きてきます。世界のものごとは、自分一人で動くわけではありません。ここで大切なことは、自分が期待したようにものごとが進んでいないのなら、どのようにすれば良いか考えることです。どのようにすれば期待するような形に変えられるか、その知恵を出し工夫することが必要になります。最近の認知行動療法では、自分の考え方を性格論から戦略論に切りかえられるように支援するようになってきています。
「性格だから仕方がない」とネガティブ感情を持てば持つほど、事態は深刻化していきます。そんな悪い事態を克服するヒントが、大リーグの選手に見られます。大リーガーの選手は、よくガムを噛んでいる映像が流れます。行儀のよくない姿ですが、理由があります。ガムを噛むことで脳を刺激し、中枢神経を覚醒し運動神経の働きを高める作用もあるのです。外の動きが、内の機能を刺激し高めているわけです。私たちは楽しいときやうれしいときに、表情が緩んで笑顔になります。家族や仲間と旅行に出かけるときも、笑顔になります。笑顔になり背筋を伸ばすと、気持ちが明るくなって前向きに考えるようになります。心の喜びは、笑顔や姿勢といった外から見える身体を変化させます。一方、姿勢からでも同じような変化が起きてきます。落ちこみがちのときに、筋を伸ばして表情を緩めると気持ちが前向きになることがあります。内から外への表現もありますが、外から内の負の要因を取り除くことも可能なのです。このような事例は、緊張したときの深呼吸などいくつかの有効な動作があるようです。悩んでいるときに、悪い方に悪い方に考えが行きがちですが、自分なりに効果のある動作をいくつか持っていると、良い方向に考えを切り換えることができるようになります。
良い出来事は、偶然に起きるものではありません。自分なりにいろいろと知恵を出したり、工夫をしたり、努力をしたりしたから良いことが起きるのです。もっとも、本人は、そんなに工夫したり努力したりしたという意識がないかもしれません。意識しないでも、課題解決に対して、自然に工夫できる力を持っていると考えるべきでしょう。意識しないで、そうした課題解決ができることは素敵な能力の持ち主ということになります。彼らに取って、失敗したときに大事なのは、問題にどのように対処するかを考えることになります。人間は成長の過程で、失敗は何度経験をしています。失敗したときに大事なのは、自分の性格を責めることではなはありません。ちょっと立ち止まって、自分の考え方や行動の何が良かったのか、悪かったのかを確認することです。自分を責めるより、自分にやさしくなっているときの方が、心身の能力を十分に出すことができます。
余談になりますが、「笑う門には福来たる」は、科学的にも実証されるようになりました。先日の高校野球などでも、失敗しても笑う選手の姿が目につきました。監督も選手も、失敗と笑いを認める光景がありました。以前であれば、失敗したプレーには、沈黙と反省の光景が普通でした。笑いがプレーのリセットやポジティブな姿勢をもたらすことが、競技の世界でも認知されてきているようです。この状態は、プレーで失敗した選手が笑うことで、正常な状態になり、力を発揮することを示したわけです。この笑いを、意図的に作ることが可能にもなってきました。その実験があります。割りばしを口をつぼめてくわえるグループと横にくわえるグループにします。割りばし口をすぼめてくわえてもらうと、不満そうな表情になります。一方、割り箸を横にくわえてもらうと口が横に開いて笑っている表情になります。割りばしを加えるこれらの表情は、割り箸で意図的につくり出されたものです。不満そうな顔や笑っている顔は、実際に笑っているわけではなく、また不満を感じているわけでもありません。しかし不思議なことに、実際に笑っているわけではなくとも、気持ちの変化が起きてくるのです。そこで、同じ漫画を読んで面白さ評価してもらう実験を行いました。割り箸を横にくわえた笑顔の表情をした人たちの方が、面白いという評価が高くなったのです。人為的に作られた割りばしの笑いが、面白さを持つ漫画でより本当の笑いに昇華していったようです。
最後になりますが、人々には、いろいろな欲求があります。その欲求が満たされれば、それはそれで満足という状態になります。一方、欲求不満が残るなら、それも悪くはないのです。欲求不満は、不満足や消化不良、そして疑問をもたらします。人間は、それらの不満や疑問を解明し、解決することエネルギーを使う動物のようです。不満や疑問が、考える力や考えたいという気持ちを与えてくれます。脳はこれまでになかったこと、やったことのないことに直面すると、活性化するという特性を持っています。もっとも、良い出来事は、「知恵を出したり、工夫をしたり、努力をしたり」した経験の蓄積の上に起きるものです。多くの経験があれば、課題解決のための工夫を作り出す組み合わせが可能になります。課題解決のアイデアが適度に出れば、成功体験や達成感を得ることが容易になります。まずは、上手に経験をインプットする方法を身につけることになります。この蓄積された経験を、状況に応じて使い分ける機会を持つことになります。失敗や良くないことは、長い人生において必ずやってくるものです。その時に、考え過ぎずに、悩みすぎずに、少し立ち止まって、自分の良い時のことを思い出し、本来の能力を発揮してもらいたいものです。
