2023年の日本人の平均寿命は、女性が87.14歳、男性が81.09歳となりました。コロナの影響で、男女とも2年連続で低下していました。延びるのは、3年ぶりになります。国別では、女性が前年と同じく世界1位になりましたが、男性は4位から5位に下がってしまいました。蛇足ですが、女性の2位は、スイス(85.9歳)になります。3位フランス(85.75歳)と先進国が続きます。男性の1位は、スイス(82.3歳)、2位がスウェーデン(81.58歳)、3位ノルウェー(81.39歳)と続きます。喜ばしいニュースもあります。がんや心疾患、脳血管疾患で死亡する確率は、いずれも前年から低下しているのです。日本は、主要国で最も高齢化が進む国になります。その日本国内の街中では、元気はつらつの高齢者もよく目にします。実は、日本の高齢者は運動能力などが向上し、体力面で若がっている状況があるのです。今回は、この元気な高齢者の方をより元気にする工夫を探ってみました。
元気な状況を示す事例は、「新体カテスト」と国立長寿医療研究センターの「歩行」に見られます。「新体カテスト」は、スポーツ庁が毎年行っているものです。握力や長座体前屈など6種目が行われます。このテストにおいて、75~79歳の女性が37.4点を取り、1998年の65~69歳(36.8点)を超えてしまったのです。このテストの推移から、過去20年間で高齢者の男性は約5歳、女性は約10歳も体力的に若返っているといえる状況になっています。年代別スコアをみると、男女とも65歳以上は右肩上がりの傾向が顕著になっています。シニアの皆さんは、若がっているともいえるのかもしれません。もう一つの指標が、歩行になります。歩行スピードに関しては、女性と男性を問わず、50歳を過ぎると急激に落ちてきます。その中で、速く歩ける人は、歩き方の遅い人に比べて死亡率が5分の1も低いという統計もあるようです。ある意味で、歩ける人は、ポジティブな精神を保持することができて、なおかつ死亡率も低いという特徴を持つことになります。国立長寿医療研究センターの報告は、「歩行」という人間の基本的動作で興味深いデータを示唆します。2007年と2017年を比べると、65~89歳までの5歳刻みの全年代で男女とも速くなっていたのです。80~84歳では男性は秒速1.15mから同1.23m、女性は同1.09mから同1.21mに向上しています。2つのデータから、日本のシニアの寿命や健康に関して、明るい未来が見えているというわけです。
高齢者が体力的に若返っている理由は、いくつか考えられています。「老後の生活が視野に入る50代くらいから、健康の大切さを強く意識する人が多くなります。この頃から、食事や運動に気を配った健康習慣を身に付け始める人が多いようです。この方たちをターゲットにしたシニア向けの健康情報が、増えていることも若返りのー因とされています。そのひとつに、認知症や転倒の予防などシニア向けの健康情報が増えています。すると、認知症や転倒の予防に心掛けるシニアが増えているのです。この効果は、数字としても現れています。「国民生活基礎調査」の分析では、65~74歳は腰痛や物忘れを訴える人の割合が年々低下しているというデータがでています。若返りには、社会的要因も関与しているようです。定年退職年齢を引き上げ、高齢者を積極的に雇用する企業も増えてきました。65歳以上の高齢者の就労率上昇は、体力の維持や向上に向き合うことで可能になります。さらに、社会活動の増加や栄養状態の改善などの要因も関与しているようです。社会との接点を長く持ち続けることで、さらに身体状兄の改善が促されている面が出てきているようです。
楽しいお話しだけでなく、悲しい状況もあります。加齢が進むと認知能力が低下する人々もいます。特に、うつ状態の方は、この進行が速いようです。うつ病の方は、セロトニンの分泌が少ないと言われています。ある実験が行われました。うつ病の患者に、薬のグループと運動処方のグループに分けて実験を4ヶ月間行ったのです。この結果は、どちらもグループにも同程度の幸福感をもたらすという有意義なものでした。この幸福度の改善は、運動が抗うつ剤と同じだけの効果があることを証明したわけです。さらに時間が過ぎるにつれて、運動の効果の優位性が浮き彫りになってきました。抗うつ剤を飲んだグループは、6ヶ月後38%が再びうつ状態に戻っていたのです。運動療法をしたグループは、6ヶ月後の再発率はわずか9%でした。運動療法は、「うつ」の状態から90%以上を解放したことになります。運動療法の方は、セロトニンの分泌が正常になったと見られています。うつ病と似た症状に、学習性無力症があります。これに関しては、米国の心理学者マーティン・セリグマンの実験が有名です。この実験は、人の無気力は経験によって学習されるものだと示唆しています。学習性無力症の人の脳では、ともに2つの神経伝達物質が不足しています。彼らは、ノルアドレナリンとセロトニンが不足しているのです。ノルアドレナリンはアドリナリンと同じく、体と脳が戦闘モードに切り替わるこができます。さらに、集中力を高め、積極性な行動を起こすことにも役立ち、目の前の恐怖や不安に対して立ち向かうことができます。一方、ノルアドレナリンが不足すると、やる気や集中力が低しまいます。
蛇足になりますが、学習性無力症についての実験例を述べておきます。セリグマンの実験は、ケージに電流を流して電気ショソクを与えるというものです。犬を、それぞれ2つのケージに入れます。ひとつは、電気が流れており、ボタンを押すと電気ショックを回避できるケージです。もうひとつは、電気が流れており、何をしても電気ショックを回避できないケージになります。前者の犬は、ショックからの回避行動をとりますが、後者の犬は動かずにひたすら電気ショックに耐え続けるのです。その後に両方の犬を、ボタンを押すと電気ショックを回避できるケージに移します。前に回避できるケージに入った犬は、このケージに入るとすぐにボタンを押す行動を起こします。でも、前に回避できないケージに入った犬は、電気ショック回避する行動を取らないのです。耐える行動をとるわけです。電気ショックを止めることができないことを学ぶことになると、何も行動を起こさなくなったというわけです。犬だけでなく、人間に対しても電流の代わりに不快な雑音を聞かせる実験が行なわれました。人間への不快な雑音を聞かせる実験でも、同様の結果となったのです。学習性無力症とは、何をしても無意味だと感じ、現状を脱する努力をしなくなることです。「お前はダメだ」という電流を流され続けると、ダメだと思い込んで本当にダメになる事例になります。そして、この場合も、ノルアドレナリンとセロトニンの不足が指摘されています。
ここで、元気なシニアをより元気にするお話に戻ります。シニアには、心身の状態を調べて、生活や労働に従事できる健康を作り出すように心がけることが求められます。基本は、食と睡眠、そして運動になります。たとえば、ウオーキングやランニングで肉体疲労の状態にすると、良い睡眠すなわち、深い眠りを得ることができます。深い眠りにつくことができれば、朝起きた時にセロトニンが分泌されます。この時、太陽の光を浴びるとこの分泌は加速されます。この物質が分泌され、十分に機能すれば、ストレス耐性は高まります。イライラしたり、理由なく怒ったり、過剰に不安になったりすることを抑制する自制心を持つことができます。セロトニンは、夜になるとメラトニンとなります。メラトニンは睡眠物質ですから、良好な睡眠をもたらすことになります。このようなサイクルを作ることができれば、個人の健康レベルは良好な状態になります。さらに最近の知見は、運動の重要性を示唆します。運動は、筋肉を動かすことによって成り立ちます。この筋肉には、体を動かしたり支えたりする以外に、ホルモンを分泌する働きがあるのです。それが「マイオカイン」です。マイオカインは、現在30種類以上発見されています。骨格筋から分泌されるマイオカインは、様々な臓器に働きかけます。筋肉での糖の取り込みを増やし、血糖値を安定させ、蓄積した脂肪を燃焼させたりしているわけです。また、別のマイオカイン「SPARC」には大腸がんを抑制する働きがあると言われています。80歳、90歳になっても、トレーニングよりマイオカインを分泌する筋肉を増やすことは可能です。
最後になりますが、人間の感情には、喜び、高揚、幸感、快感、悲しみ、落胆、恐怖、不安、怒りなどがあります。これらの中で負の感情が多くなれば、「うつ」の状態になりやすくなります。ノルアドレナリンやセロトニンの分泌が正常であれば、いろいろな感情を制御できます。また、適度に発散する機制を行えば、より良い状態が保てるわけです。一般的には適応規制を働かせて、最悪にまで至らず、平静を保つ人が多いわけです。この適応規制に、ウオーキングやランニングなどの運動があります。もちろん、この規制には運動だけでなく、趣味などの楽しいことが含まれます。極端なことを言えば、仕事が楽しいという職人の方には、楽しい仕事がうつ状態にならない最も優れた薬になってしまうこともあります。幸せなシニアの生活を過ごしたいのであれば、若いうちから訓練の積み重ねが必要です。脳は、楽しいことが大好きです。面白いと思えることには、挑戦してみることです。卓球が好きになり、将棋が好きになり、散歩が好きになれば、嫌なときにはこれらの好きなことをすれば、ストレスの発散ができます。面白いことを感じるには、ドーパミンの分泌が多ければ良いことになります。ドーパミンを効率的に増やす方法は、小さな達成感を数多く味わうことになります。卓球でも将棋でも、少しずつうまくなれば、その達成感を味わうことができます。もちろん、仕事でその達成感を味わうことも可能です。日本のシニアの体力向上、中でも歩行のスピードアップは、ノルアドレナリンやセロトニンの視点からも嬉しいニュースになりました。