「かわいい」の視点から人間理解を深化させる  アイデア広場 その1558

 ディズニーランドのミッキーマウスは、人気ものです。その人気は、「かわいい(可愛い)」にあります。初期のミッキーマウスは、頭が小さく手足も長かったことが分かっています。このキャラクターは、時が経つにつれて、頭が大きくなり丸みを帯びていくのです。ミッキーマウスだけなく、人気のあるキャラクターのくまモンなどのぬいぐるみは、胴体に比べ頭部が非常に大きく、手足が短いものがあります。頭部が非常に大きく手足が短いものは、かわいいと感じられることが分かってきたのです。写真屋さんは、かなり以前から、この事実を知っていました。写真屋さんは、写真を撮るときは、あごを引いておでこを前に出し上目づかいにするとステキに見えることを知っていたのです。彼らは、アゴが小さくして、オデコが広く写ると可愛く見えることを経験的に知っていたわけです。「カメラを見て下さい、アゴを引いて、はい、チーズ」には、理由があったのです。乳幼児も、子犬も、子猫も、そしてミッキーマウスも、頭が大きく、手足が短いから「かわいい」ということになるようです。

 近年は、「かわいい」の経験則を科学的に再現できるようになってきました。たとえば、デジタル映像で子犬の顔を長く作成します。この長い子犬の顔を、連続的に丸顔にして作業をします。すると、丸くなるにつれて、子犬が可愛くなっていくのです。顔が大きく、目が大きい場合、さらに「かわいい」とみられます。これをビジネスに利用したものが、プリクラです。「かわいい」を演出するためには、まぶたを二重にし、カラーコンタクトを入れて瞳を大きくすることが一般的です。最近のプリクラやスマホの写真には。目を大きく加工する編集機能がついています。この写真の加工する編集機能は、大きくて丸い目はかわいさを作り出すことに関係しているわけです。目は大きく、鼻は小さくすると「かわいい」となります。顔を連続的変化させる技術があれば、もちろん目や鼻を操作することも可能です。意図的に「かわいい」を演出するためには、まぶたを二重にし、カラーコンタクトを入れて瞳を大きくすることもあります。自分に合わない既製服でも、良く見せる着こなしをしなければならない状況も出てきます。「かわいい」を演出するためには、さまざまな角度から自分自身の手入れをすることが求められる時代になったようです。

 「かわいい」を、意図的に演出することも可能になりつつあります。そのヒントは、刷り込みの実験にありました。これは、fMRIを使って二種類のグラスワインを飲む実験になります。この実験は、参加者の快楽中枢を観察したものです。fMRIは、磁気を利用して脳の神経活動を観察する装置になります。この実験では、非常に高価なワインと、もう一方は安物だと告げて参加者にワインが手渡されました。参加者は高級なワインを飲んでいると思っていると、その美味しさを強調する報告するのです。飲んでいるのが高価なワインだと告げられたときに、快楽中枢のニューロンが活発に作用するのです。安いワインだと告げられたときは、それほどでもありませんでした。もちろん、どちらのワインも同じボトルからグラスに注いだものでした。ワインを味わう味覚は、ほかの感覚に比べて非常に弱いものです。それゆえ、高級や安いなどの言葉の影響を非常に受けやすくなります。

 このような刷り込みが可能になれば、現実に対する知覚を根本から変えることが可能になります。顔の大きさや目の大きさの刷り込みで、「かわいい」が作り出されることもあるわけです。消費者の感覚にひねりを加え、マーケターに有利な思の刷り込みが可能になります。蛇足ですが、同じ料理でも、倉庫で食べるのと、豪華なパーティで食べるのでは、味わいが違います。人は生データを取り込んだ後、取り込んだ情報に脳内に存在する思い(記憶)とを組み合わせて、主観的なモデルを自分のなかで生み出します。データを取り込み主観的な体験を生み出す脳内の過程は、不思議なことに意識されないことが多いのです。脳は、現実をできるだけ正確に複製しようと努めます。でも、脳が構築する主観的モデルは完璧とは程遠いものということです。

 「かわいい」といった直感的な感じ方は、ファッションではとても大切な要素です。この感覚を一つの形に昇華するものが、ファッションの楽しさのひとつでもあります。自分だけで、楽しさに浸ることも一つの在り方です。でも、みんなと「かわいい」を共有したいとなれば、客観性も求められます。そこで、第三者の評価も取り入れて身のこなしができれば、よりレベルの高い「かわいい」になります。ある意味で、ファッションを楽しむということは、人間であることを高いレベルで楽しむということかもしれません。もし、どうしても自分と第三者の評価を確認したいという欲求があるのならば、自分の記録を取ることでしょう。記録を取ることによって、客観的に自分を理解することができます。現在の鏡ですと、前と左右の姿は分かります。これをスマホのカメラで毎日記録すれば、一つの客観的な記録になります。できれば、後ろ姿を記録したいものです。これも、前後左右にカメラを配置し、スマホで記録できるようになれば、記録はより多面的なものになるでしょう。平成と令和の時代を通じて進化してきたバーチャルリアリティ(VR)は、このような道具にはぴったりでしょう。毎日のカメラ映像と日々の本人の感じ方などが、VRを通して客観的な記録として蓄積されていくことになります。

 もちろん、主観的な「かわいい」をより高める工夫も求められます。その人が、かわいいと感じる子犬や子猫の写真は注意を引きつけます。かわいいと感じる写真は、ポジティブな感情を引き起こすこともわかってきました。「かわいい」気持ちに浸たれば、リラックスができ、穏やかな気持ちが生まれます。このような状況を生み出す工夫も、いくつか開発されてきました。この工夫の一つが、瞑想になります。この瞑想には、「かわいい」写真や「かわいい」という言葉を活用するところに特徴があります。「かわいい」と感じる写真を目の前にしながら「かわいい、かわいい」とゆっくり声に出すのです。「そうではない」気持ちが起こっても、淡々と「かわいいかわい」とつぶやきを続けます。他の人が自分をかわいいと言ってくれなくても、自分で自分にかわしいと言えば良いのです。本当にそう思っていなくても、言っているうちに気分が変わってきます。「かわいい」という気持ちを思い出したら、口の動きは止めても良いというものです。

 余談ですが、「かわいい」ものは、「快」であるとする心理学者がいます。この見解は、大部分の研究者に受け入れられているようです。快は、人間を活動的にします。活動的な人は、「かわいい」ものを見るとパワーアップするようです。ある実験では、子犬などの幼い動物(可愛い動物)を見た後の成績の向上率は35%で、おとなの動物をみた後では9%などという結果も出たようです。もっとも、「かわいい」を見たり触れたりすることで、全ての人の成績を上げることはできません。でも、ある特定の人びとには、効果を上げる手段になるかもしれません。この特定の人を囲い込めば、いくつかのビジネスが効率的に行うことができるでしょう。話は変わりますが、日本には、「かわいい」ものに対する歴史的文化的な背景がありました。日本には、細かくて織密なものに美を見いだす傾向があります。江戸時代の根付(印籠)や小物入れを帯に吊るすための留め具には、縮小の美が見られます。縮小することは単に小さくなることとではなく、本来よりちらっと優れたものにすることです。この反対が、手の中に入れられないことは「手にあまる」ものになります。日本人は、手でさわる(握る)ことのできる小さなものを、愛好する傾向が強いと言われています。この縮小は、現代日本のキーホルダー文化と通ずるものとも言われています。

 最後になりますが、クリスチャン・ディオールは、ディオールの創業者になります。ファッションには、大きな影響を与えた人物でもあります。彼の言葉の中に、男性服は実用性のため、女性服は美のために作られているというものがあります。ディオールの言葉は、男性服と女性服ではデザインの裏にある意図が違うことを暗示していると言われています。特にポケットには、この意図が見え隠れしています。ある調査では、女性のポケットが男性のものより平均して48%短く、6.5%狭いことを報告しています。女性の手が、女性もののポケットに指のつけ根までしか入らないのです。今日の女性のポケットは、男性のそれよりあきらかに小さくて、不便なことを示しているというわけです。この小さくて不便さが、「かわいい」を際立たせているというものです。もっとも、ディオールの時代は過ぎ去ろうとしています。日本では、母親が娘と渋谷に出かけ、一緒に同じような「可愛い」服の買い物をしています。今の母親は娘と姉妹に見えるように、アンチエイジングに気を使っているようです。一方、欧米では娘が母親の成熟した女性像に憧れて背伸びする図式が普通でした。「若々しさは大切だが、若作りは浅ましい」という美意識が欧米にあったわけです。でも、この意識が急速に変わりつつあるのです。アンチエイジングを求める富裕層が増えています。母親と娘が姉妹に見せようとする行動様式は、日本ではとっくに行われていたのです。「かわいい」をいろいろな視点から眺めることも、人間理解を深化させるうえで必要なことなのかもしれません。

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