「痛さ」を和らげる工夫  アイデア広場 その1571

 本を読んでいると、小指の骨折が、個々人によって痛さが違うということが書いてありました。さらに、痛みの原因が取り除かれないと、痛みは持続し慢性化するということです。お医者さんが、小指の骨折を上手に治せば、痛みは長続きすることはありません。でも、治療が長引き、小指の痛みが長引くと厄介なことになります。痛みが長引くと、海馬などの大脳辺縁系のさまざまな部位が活性化します。脳は、小指の骨折症状、その時の意識、ケガの治癒への期待など加味した痛さを患者に植え付けていくのです。脳に、痛みが記憶されるわけです。痛みの記憶が強く植え付けられるほど、痛みは弱い刺激でも強く感じるようになります。患者の痛みの記憶の複雑さが主観的になると、治療が難しくなります。戦争で、腕をなくした兵士が、戦争が終わっても、なくなった腕が痛む現象があります。痛みが深く植え付けられた悲しい記憶ともいえます。この痛みに関する研究が、想像以上に進んでいます。主観的痛みに対する対応は、もう少しで明らかになろうとしています。痛みの中枢が、中脳水道周囲灰白質であることが徐々に分かってきました。この灰白質の部分の活動の様子をfMRI(機能的磁気共鳴映像装置)で視覚化ができるようになりました。中脳水道周囲灰白質の仕組みがfMRIでとらえられ、主観的な痛みとの関係が明らかになりつつあるわけです。灰白質の部分が何の活動もしていないときには、痛みは生じないのです。灰白質の部分それならば、灰白質の部分が活動しないような治療や薬があれば、痛い患者には、福音になります。

 ネガティブ考えですが、人はいつか必ず、死をもって生涯を閉じることになります。生涯が閉じれば、永久に痛みは無くなるかもしれません。でも、亡くなるその直前に、いくつかの苦しみに悩まされるとよく言われます。1つ目は、身体のつらさになります。その1例が、膝や腰の痛みなどになります。さらに、息苦しさや食欲の減退などあります。追い打ちをかけるように、転倒で骨折などしたときには、立ち居振る舞いが不自然になり身体のつらさに悩まされます。2つ目は、気持ちのつらさです。何人かの人々には、なんで生きているのだろうなどのスピリチュアルペインも出てくることあります。人は、健康なときには死のことなどを忘れて生活しています。でも、死が迫って来ると、人生の意味への問い、生きている目的、過去の出来事に対する後悔、死後の世界などへ関心を持つことがあります。これが、苦悩を引き寄せることもあります。この苦悩を、スピリチュアルペインと言います。3つ目は、経済的貧困です。人は、心身にそれほど問題がなくても、生活に困窮すれば、生きるつらさを実感します。また、周囲の人と劣悪な関係になれば、生きるつらさを味わうことになります。痛さをやわらげ、気持ちのつらさをやわらげ、経済的に社会的に良好に過ごすことができれば、老後も安定します。今回は、この中で「痛み」を集中的に考えざる得ない事態になりました。

 先日、知人が痛風になりました。前日まで、彼は元気に山歩きをしていたのです。それが、急に足に激痛が走り、いつもの元気がなくなり、意気消沈しているのです。痛さが、理性や感情の制御を低下させる状況が引き起こしているようでした。彼は、突然の激痛が走り日常生活にも支障をきたしました。「痛風発作」、急激に炎症反応が起き、患部が赤く腫れ上がって強烈な痛みが生じる症状を引き起こします。彼は、左足の親指の付け根が赤く腫れ、病院を受診したところ痛風と診断されました。痛風は、体内に蓄積した尿酸の結晶が原因になります。尿酸の濃度が高くなると、尿酸は溶けきれなくなって結晶として血中に出てきます。尿酸は、血中に溶けにくくなります。脱水状態では溶けきれなくなった尿酸は、結晶になります。この結晶は、足や手の指の付け根や耳などにたまります。何らかのきっかけで、この結晶が崩れるときがあります。免疫細胞は、この崩れた結晶を敵とみなし、攻撃を始めるのです。この結晶が崩れ、免疫細胞が攻撃を始めると痛風が発症することになります。

 この痛風が、わが国でも増えています。食の欧米化などを背景に、患者数はこの15年で4割増えて、130万人を超えました。食事や飲酒でプリン体などを摂取すると、肝臓で尿酸がつくられます。ビールには、尿酸のもととなるプリン体が多く含まれています。アルコール(ビール)を控え、魚や甲殻類などプリン体が多い食品の摂取を減らすことが予防になります。この痛風は、生活習慣病との関りもあります。過剰な高尿酸血症患者は、肥満やメタボリックシンドロームを併発していることが多いのです。高い尿酸値は、糖尿病や高血圧といった他の病気の危険因子としても問題視されつつあります。心臓の血管にも蓄積し、炎症反応を引き起こすこともあります。高い尿酸値は、血管の病気のリスクも高めることもあります。血液中の尿酸が1デシリットルあたり7ミリグラムを超えると、高尿酸血症と診断されます。この基準値を超えると、尿酸の結晶かたまりやすくなります。ちなみに、知人は、十数年にわたり、毎年1泊2日で人間ドックを受けていました。痛風に一度かかったことがあり、尿酸値には注意を払っていたそうです。昨年は、7.9mgで今年は8.0mgでした。でも、症状が出ないので、好きなお酒を飲んでいたそうです。結果として、危険水域を越えて、激痛の報いを受けることになりました。お医者さんには、尿酸値を下げるためには食生活や生活習慣の改善を目指す助言をいただいたそうです。もちろん、痛み止めと炎症を抑える薬を処方されたそうです。

 お医者さんからの助言は、厳しいものでした。発症すれば治療は基本的に生涯にわたって続くので、尿酸値を上げないよう予防が大切になるというものでした。痛風の防止には、糖分を含まない水やお茶でしっかり水分補給することが大事になります。その理由は、尿酸が尿や便から排出されるぁらです。意識的に水分をとり、尿酸の排出を日常的に心掛けます。健康診断で高い尿酸値を指摘された人は、意識的な水分補給や食生活の見直しが欠かせません。発作を繰り返す場合、尿酸降下薬の投薬を組み合わせることになります。知人にとって苦しい指摘は、アルコールの飲酒制限でした。アルコールは、体内でプリン体を作る反応を起こします。さらに、アルコールは、尿酸を排出する腎機能も低下し、尿酸値が上昇しやすくします。清涼飲料水も、果糖などの分解過程で尿酸ができます。清涼飲料水の飲み過ぎは、望ましくないということになります。清涼飲料の企業は、暑い時期に商品が売れます。一方で、痛風患者は年々増えており、特に6~9月は通常の1.5倍程度の受診者が訪れる状況があります。痛風の予防からは、暑い日が注意ということになります。

 余談ですが、痛みに対する人類の対策は太古の時代から行われてきました。痛みの万能薬をいわれた鎮痛剤は、古代よりアヘンでした。この薬は、古代ギリシャ・ローマをはじめ地中海沿岸地域でも広く使われていました。問題は、この薬の依存症にありました。1990年頃、副作用の少ない鎮痛剤としてオピオイドの使用許可が出ました。オピオイドは、ケシから採取される成分で作られています。現代では、鎮痛剤としてオピオイドが医学の分野ではなくてはならない薬剤になったのです。でも、困ったことも起きています。オピオイドを鎮痛剤として飲むことにより、労働意欲が低下するケースがあるのです。この鎮痛剤の依存症患者が、働かなくなるという悪影響が経済面にも現れ始めています。オピオイドが、依存症患者を多数つくり出している現実があります。この依存症の死亡者は、毎日100人を超えるといわれています。1期目のトランプ大統領は、「オピオイド」の乱用を受けて「公衆衛生の非常事態」を宣言したほどです。さらに、困った事態も起きています。医師がこの鎮痛剤の処方を減らしたことで、違法なヘロインに走る人たちが増えているのです。

 最後になりますが、痛みという壁は克服できたようです。でも、その先に依存症という壁が現れています。この壁の克服は、依存症をターゲットにした薬剤の開発と治療方法になります。そんな中で、美しいイモガイが注目をあびています。ダイバーの間では、この貝は美しいけれども、非常に危険な生き物とされています。この貝の毒は、複数の毒からなるコノトキシンと呼ばれる神経毒の一種になります。指された場合、人工呼吸や心肺蘇生術など適切な措置をとらないと呼吸困難で生命を落とすこともある危険な貝です。イモガイの毒は、神経細胞のイオンチャンネルをブロックしてしまうのです。このチャンネルがブロックされると、感覚が麻痺し、けいれんを起こし、体が動かなります。でも、この毒の鎮痛効果はすばらしいものがあります。ラットを使った実験では、コノトキシンの鎮痛効果はモルヒネの1万倍といわれています。コノトキシンは、痛覚神経を麻痺させ、モルヒネを上回る鎮痛効果が得られことが分かったわけです。このコノトキシンの注目されている理由は、アヘンのような習慣性もなく、耐性もできにくいという点です。この貝の毒であるコノトキシンは、近年ジコノチドという名の鎮痛剤として認可されました。アメリカでは、すでに進行性のガンやヘルペスに、この薬を疼痛緩和に使用しています。蛇足ですが、悪役として記述してきた尿酸にも、良い働きはあるのです。尿酸は、有害な活性酸素を取り除くなど体にとって良い作用を及ぼします。尿酸は、低すぎる場合にも問題が起きます。尿酸が低すぎる場合、アルツハイマー認知症を引き起こすとこが指摘されています。欧州では尿酸が低すぎる場合、アルツハイマー病などの脳の病気のリスクを高めると理解されています。尿酸値1デシリットルあたり3ミリグラム以下に長期間しないよう推奨しているのです。少なすぎず、多すぎず、適度な量を維持しながら、豊かな生活したいものです。

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