コメ不足から未来の農業と健康増進を工夫する アイデア広場 その1470

 農水省が発表した2023年産主食用米の収穫量は、661万トンと発表しました。2020年産米の生産量が776万でしたから、115万トン減ったことになります。さらに、この生産量は、1993年に起きた冷夏による「平成のコメ騒動」(783万トン)を下回る数量なのです。この年の冷夏による戦後最大の不作は、日本だけでなく、アフリカにも影響を及ぼしました。日本がタイ米を買い上げたために、アフリカの人たちが食べられなくなったのです。日本はお金の力で飢餓を防ぎましたが、アフリカでは高騰するタイ米を食べられず、飢餓状態になった方も多数いたのです。家計調査でみれば、2人以上の世帯のコメ支出額は、2011年に初めてパンに抜かれました。稲穂の国が、小麦の国になりつつあるのかもしれません。コメの地位の低下は、政府の行政にも表れています。コメ需給などを担当する食糧庁は、2003年に廃止になりました。コメの配給などという言葉は、死語になりました。コメ担当の部署は、食糧庁より格下の園芸作物も扱う農産局という名称になるようです。担当の方は、「コメと園芸作物を一体で、農業の高収益化を進める」と話しています。コメに対する需要にも、変化が見られます。安さが求められる外食など向けの業務用米が、需要を伸ばしています。コメに厳しい状況の中で、異変が起きました。2024年はコメ不足になったのです。8月頃、スーパー店頭では、コメが品薄になったり、棚からコメが消えたのです。この予兆は、5月ころからあったようです。コメ不足が広く報道されるようになった6月ごろからコメがふるさと納税のサイトで人気になっていたということです。もっとも、スーパー店頭には10月ごろから新米が本格的に並ぶとされています。ただ、10月ごろから新米が本格的に並ぶのですが、コメの価格の水準は高い状況が続く見通しのようです。そこで、今回はコメの安定供給と農家の所得向上について考えてみました。

 ふるさと納税でコメを手に入れている方は、一定数これまでもいました。これは、農家を支援することにもつながっていました。今年は、この一一定数が異常に増加したのです。最大産地新潟県の自治体では、寄付が急増してしいます。8月の寄付件数が、前年比4.3倍にのぼったのです。新潟の場合、今申し込んでも実際に届くのは10月以降になるようです茨城県取手市の場合、8月中旬までにコメを返礼品とした寄付の受け付けを停止しました。市財政課の担当者の方は、コメへの問い合わせがあること自体が異例と驚いています。取手市は、ビールを返礼品として推奨しており、コメの有名産地というわけでないのです。コメをふるさと納税の返礼品としている自治体は、寄付の受け付けを新米が出る時期まで受け付けていました。でも、今年度は地元に2023年度米がないので、新米の出荷まで停止している自治体が多いようです。ふるさと納税で、コメを入手しようとする消費者の行動は当面続くようです。2020年から2023年の間に、115万トン約15%の主食を減少させる政策に改善策はないのかと考えてしまいます。

 そこで、農家の実情を眺めてみました。秋田県では、コメなどの農作物を生産と販売をする農家は2020年には2万7780戸でした。この数字は、2015年より約1万戸減った数になるのです。田んぼはあっても、担い手が減っていることが農業の大きな課題になっています。担い手が、高齢になり、体力的に農作業に従事できなくなっているのです。2025年の次回調査では、農家の減少と高齢化がさらに進む見通しになっています。秋田県大潟村は、「コメどころ」になります。ここで行ってきた従来の水稲作付けは、まず春に 3~4週間かけてハウス内で苗を育てることから始まります。次に、田んぼに浅く水を張って、土をトラクターでかき混ぜて軟らかくする「代かき」を行います。さらに、従来の水稲作付けは、温度や水を管理する手間がかかるのです。ある農家の方は、「まだ今は体が動くからいいが、これから年を取っていく」と将来を悲観的にみています。もっとも、今後も農業を続けるうえで、負担が軽減されれば、話は違ってくると言います。春先の作業を減らす工夫が求められるようです。

 人間は苦しくなれば、それを乗り越える努力や工夫を重ねてきました。この秋田にもその兆候が見られるようになりました。この秋田県大潟村では、田んぼに苗を植えずに種もみを直接まく栽培法がじわりじわりと広がってきました。この乾田直播という方式は、春先の管理作業を省けるのです。ハウス内での苗を育て、「代かき」、そして温度や水の管理をする手間が省けます。乾田直播なら、こうした作業を省くことができるのです。この作業が省ければ、生産者は労働力を収益性の高い作物の栽培に振り向けられます。吉原忍さんは、約8.6へクタールの水稲作付けを乾田直播にしました。彼は、「難しい面はあるが、稲の根の張り具合は苗を植える場合に比べていい」と成果を認めています。彼は、これから年を取っていくことを、先々を考えて決断したようです。コメ農家は、肥料や資材費が高騰するなか、コメの栽培だけでは所得増は望めない状況にあります。収益性の高い作物の栽培で、所得を向上させられる状況が求められています。コメの栽培だけでは、ジリ貧です。ジリ貧で農業から撤退すれば、耕作放棄地が増えます。耕作放棄地を増やさないためにも、乾田直播は一つの対策になり得ると期待を寄せられています。

 今回のコメ不足には、それに至る下地がありました。日本の米の総需要が、700万トンから800万トンと言われています。その中で、業務用米は、200万トンほどになります。日本では、中食や外食の需要者が増えてきました。中食や外食産業の求める手ごろな価格帯の米が、常に不足していたのです。そこに、2023年の生産が661万トンとなり、日本人が必要とする需要は生産を上回る状況が生まれつつあったわけです。そこに、外国人観光客が激増しました。彼らの目的の一つが、和食でした。当然、コメの需要は激増します。弱い立場の人々が通うスーパーが、最初にコメの仕入れに困りました。もっとも、この不足は、東北や北海道の新米が出回るころには、改善すると予測されています。問題は、その後の流れになります。農家は、強い立場になり、コメの値上は避けられない情況です。当然国民は、農家の苦境を理解し、コメの値上げを認めることになります。持続可能な農家の経営が成り立つレベルの値上げをして、農家の経営を安定させることが食料安保にもつながります。

 余談ですが、日本人の食事を考えるにあたって、面白い研究があります。この研究は、1960年、1975年、f990年、2005年と15年ごとに、その年の日本人家庭の食生活を再現したものです。15年ごとに日本人家庭の1週間分の食生活の内容を再現し、その栄養成分の比較を行ったのです。3種の食事内容を凍結乾燥後、8カ月間にわたりマウスの餌として与えて変化を観察しました。1960年代の食事内容は、たんぱく質や脂質が少ない傾向が見られました。この頃は、生活習慣病よりも低栄養による疾病が多かった時代になります。1960年以降は、徐々にたんぱく質と脂質の増加が見られるようになります。これに対して、炭水化物であるコメの占める割合が減少する時代になっていきます。中でも、脂質の増加傾向が顕著で、2005年の食事では1960年と比較してほぼ3倍になっています。マウスを使った実験になりますが、1975年の食事内容は、内臓脂肪が増えるのを防ぐ働きがありました。現在問題になっている生活習慣病を、防ぐ食事になって言わけです。さらに、糖尿病の原因とも言われるインスリン感受性低下も1975年の食事が最も少なかったのです。日本食の良さは、1975年の食事にあるようです。1975年といえば、今からほぼ50年前、高度経済成長の真っただ中です。そしてこの頃から、ファストフードの波が始まった年代でもあります。蛇足ですが、1980年代まで、沖縄県は都道府県別平均寿命が男女とも1位を誇り、長寿県でした。ところが、2000年頃からだんだんと順位を落としていきます。2020年には男性はなんと43位、女性も16位まで下がってしまいました。ファストフードの影響を直接受けた形になっているようです。

 最後になりますが、消費者の求める食材が変化してきています。そして、消費者の求める食材に対して、それに応じようと企業は努力をしています。食味がおいしいコメは、タンパク、アミロース、脂肪酸、水分などの数値が低い米になります。その中で、飽きない美味しいと評価されおコメは、アミロースの少ないものになります。これを、人手や手間をかけずに作れる工夫をすればよいわけです。まずは、品種改良があります。蒔けば、あとは収穫まで、人手がいらない品種を作り出すことです。さらに、美味しい炭水化物だけでは、体に良くありません。たんぱく質も同時に接種できる食事ができれば、理想の食事になります。現在の健康観は、一定の筋肉が機能的に働くことを前提にしています。健康志向の商品の中でも、特にタンパク質に注目が集まっている理由です。そんな中で、面白い商品が開発されました。豆腐を作るときにできる「生のおから」は、栄養価が高いことが知られていました。欠点は、腐敗の早いことだったのです。キッコーマンでは、この生おからを乾燥させるノウハウを確立して、パウダー状に仕上げることに成功しました。このおからは賞味期限が約1年間と、筋肉愛好家には重宝な食材になります。ご飯やヨーグルトにかけて食べれば、いつでもたんぱく質の供給が可能になったわけです。このような工夫も、楽しい体つくりになるかもしれません。

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