スポーツは、人格形成に貢献すると考えられています。学校体育で、スポーツを取り入れたことも、この前提に立っています。世界がこの考え方に賛同した理由に、イギリスのパブリックスクールのモデルがありました。貴族や中産階級の少年を一人前の男(ジェントルマン)にする考えは、ヴィクトリア朝イングランドにおいて称賛されてきたことになります。当時のパブリックスクールでは、苦難を経験させ、少年を一人前の男にする教材としてラグビーなどのスポーツを使用しました。より詳しいことは、池田潔氏によって書かれた「自由と規律」(岩波新書)などを読むとよく分かります。このイギリスの理念は、日本の大学スポーツにも影響を与えました。いわゆるアマチュアスポーツが、人格形成に役立つというもののです。でも、この理念と現実にはギャップが見られるようになりました。スポーツや運動を通して、全人的な人間形成を図る狙いが、勝利にのみ集中するというゆがんだ現象が生まれているのです。今回は、スポーツのメリットを再確認することにしてみました。
リープラス(東京・渋谷)の業績が、好調です。リープラスは、スポーツ教室を運営しています。売り上げは右肩上がりで、2024年は100億円を突破しました。スクール事業の会員数は、約7万人にも上っています。この教室の特徴は、勝利よりも非認知能力の向上を重視しています。非認知能力は、協調性やコミュニケーション計画性、自己管理力などでは数値では測れない、ある面で厄介なものです。ただ座っての勉強だけでは、身につかないものです。グループ内の人間関係を調整する能力に磨きをかけるには、非認知能力が求められます。子どもたちの将来に役立つこうした能力を、スポーツを通じて育てることを目指しています。リープラスの教室は非認知能力を、スポーツを通じて育てることを一番の目的としているわけです。このスポーツ教室は、従来のスポーツ指導が批判されて、見直しが進んでいることもプラスの追い風になっているようです。スポーツによって非認知能力が育つということへの理解が年々広がっています。
非認知教育の重要性を世に知らしめた事例は、ペリー就学前プロジェクトになります。このプロジェクトは、1962年から1967年の間、アメリカのミシガン州で行われました。この地域に住む低所得者層家庭の3〜4歳児が、教育の対象になりました。このプロジェクトは、非認知能力の教育に力を入れたものでした。この能力は、一般的な知能指数や受験学力とは異なる 意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーションなどの測定しにくいものになります。ペリーの就学前教育は、30週間続けられ、この教育を受けた当時の子どもが50歳になるまで、追跡調査が行われました。その結果が、驚くべきものだったのです。ノーベル経済学賞のジェームズ・ヘックマン氏も、高く評価する結果をもたらしたのです。この非認知能力を対象にした教育を受けた子ども達は、持ち家率が高く、学歴が高く、収入が多いという成果を作り出したのです。貧しい家庭に生まれながらも、老後は良い生活を送れる状況になっているわけです。それでは、ペリープロジェクトの具体的な内容はどのようなものだったのでしょうか。これは、低所得で就学前の幼児に対して、午前中に毎日2時間半ずつ、教室での授業を受けさせるものでした。週一度は教師が各家庭を訪問して、90分間の指導をしたのです。指導方法は、子どもの自発性を大切にする活動を中心とするものでした。教師は、子どもが自分で考え、遊びを実践するように仕向けて、毎日それを復習するように促しました。復習は集団で行い、子どもたちに重要な社会的スキルを教えることになりました。指導内容は、子どもの年齢と能力に応じ調整され非認知的特質を育てることに重点を置いています。ここで身に付けた非認知能力は、賃金や就労、労働経験年数、大学進学に良い影響を及ぼしたのです。このプロジェクトの利益の率は、6~10%と米国の好調時の株式配当5.8%より高いとヘックマン氏に言わしめるほどに評価されたわけです。この非認知能力が、今スポーツの関連の事業で評価されるようになってきたわけです。
全米大学体育協会(NCAA)では、スポーツ漬けにはならないルールがあります。ここには、体調管理や学業への配慮で練習日数や練習時間を制限するルールがあるのです。NCAAで競技を続けるには、毎日継続的な勉強をやるしかない環境に放り込まれます。ある意味で、競技を続けるためには毎日継続的な勉強の習慣をつくることが不可欠です。スタンフォード大ほどの超名門でなくてもNCMのI部校なら、アスリートをサポートする環境が整っています。NCAAのI部校の環境は、トレーニング施設や学業のサポートを含めて豊富にそろえてあります。勉強との両立は大変との指摘がありますが、その大変さがプラスに転じる可能性のほうが高いと言われています。競技で好成績を残すアスリートは、個人差があります。でも総じて、彼らは集中力に優れています。好成績を残すアスリートは、自分で決めた毎日の課題を必ず遂行する意志の強さを持つものです。スポーツをやれば、非認知能力が自然とつくわけではありません。意図的に忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーションなど能力を高める取り組みをする時に身に付いていくものです。
企業の側も、業績の向上に非認知能力が影響していることを理解し始めました。非認知能力が、経営や投資の成果を高めることが分かりました。その一つに、失敗や試行錯誤から学ぶ姿勢があります。これらを繰り返すことにより非認知スキルが徐々に身に付くことがあります。この徐々にという点に、ヒントがあるようです。自分なりの方法の処方箋は、ベストでなくともよいのです。時間をかけて、漸進的にベストに近づく姿勢が求められます。自分に合った方法を少しずつ研究して、改善していく試行錯誤が大切になります。ある意味、好奇心、探究心、我慢強さ、失敗を恐れずに失敗から学ぶ姿勢が求められます。成果は試行錯誤の中で、確率的に生まれてくるものです。成果を高めるという行為や姿勢は、必ずしもそこがゴールにはなりません。様々なところから、情報やアイデアを集めて、漸進的に解決に向かっていくしかありません。解決法らしきものを実行している間に、経験の中から実践的な方法論がでてくるというものです。以前の学力試験(認知能力が対象にしたもの)は、正解が1つという形式がありました。でも、非認知能力の獲得は、正解に到達しても、次の正解を求め続ける姿勢が重要になるようです。このような試行錯誤の場を提供することが、スポーツの役割になります。
余談ですが、非認知能力とAIのコラボに関心が高まっています。AIは使い方によっては、非常に便利なものになります。そして、手軽に使える環境も整い始めています。マイクロソフトのワードやエクセルは、手軽に使えるようになりました。これと同じように、AIも同様な使い方が可能になる時代に入りつつあるようです。自動車の運転ができるようになるためには、自動車学校に通います。ここに通う目的は、車が運転できるようになることです。車をつくったり、修理したりすることではありません。AIについても、同じようなことが言えるようです。これから必要になるのは、AIを使いこなす能力です。使いこなすためには、AIの可能性と限界、その得意と不得意、などの実際の使い方を身に付けることです。すでに、チェスや囲碁の分野では、人間とAIがタッグを組めば、AI単体よりより効果を上げることが証明されています。ここに、これからの人間が活躍する余地があるようです。それでは、その人間に必要な能力は、どんなものなのでしょうか。現在、将来予測が困難な時代 (変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)に入っています。そんな中で注目されている能力は、話題の「非認知能力」になります。この能力は、一般的な知能指数や受験学力とは異なる 意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力などになります。この非認知能力とAIのタッグが、成果を上げることが実現されていく可能性があります。
最後になりますが、スポーツ系でも文化系でも部活動は子どもたちの非認知能力の育成に貴重な場を用意します。もちろん、そこでは勝利至上主義に走ったり、子ども達に自身に考えさせることなく、指導者の独断的指導だけでは、非認知能力の向上はありません。学校の部活動は、学校を離れて地域が行う活動になろうとしています。地域がこの役割を担う場合、ヒントになるのが正統的周辺参加という学習理論になります。この学習理論は、「学び」を個人の中に蓄積される知識や能力の総量として捉えない特異な教育理論でもあります。この正統的周辺参加とは、周辺から次第に中心へと参加していく過程を学習と捉える学習論になります。職人の工房を想像すると、イメージがつかみやすいかもしれません。職人は、知識を教科書で学んで一人前になるわけではありません。見習いの職人は、兄弟子たちの仕事を見ながら学んでいきます。身体の動きを見て、学んでいくという過程を取るわけです。学校の部活動は、子ども達が学校から離れて、地域でスポーツ活動をすることになります。そのとき、下級生は上級生(地域の大人たち)の活動を見て、技術の上達や技術を修得する心構え、仲間との協働作業、コミュニケーションを通して学んでいくことなります。この正統的周辺参加で重要な点は、学習が単に個人だけの成長ではないということです。見習いの職人は成長しながら、次第に重要な仕事の技術を磨いていきます。工房に所属し、そこで職人の一員として仕事に従事することで、次第に技術を蓄積し成長していきます。見習いが成長することによって、工房も発展していきます。見習い職人が兄弟子や親方に教えられながら成長することで、職場全体が良くなるという捉え方をするわけです。チーム(地域)の生産性が向上し、企業が向上し、地域が豊かかになる仕組みは、単なる言葉のやり取りで実現するものではないようです。