ポケットの数からジェンダーギャップを見る  アイデア広場 その1517

 女性の服装が、急激に変わった時期があります。19世紀ごろ、スポーツを楽しむ活動的な女性が増え始めました。彼女たちには、コルセットをはずした服装が取り入れられ始めました。でも、このスポーツの服装は、長い裾を引きずって装飾を施した重い衣装でした。この重い服装を変えたのは、第一次世界大戦だったのです。多くの男たちが、兵士として戦場に行きました。その不足分を埋めるために女性たちは、労働に従事することになります。戦争が、いわゆる国家の総力戦になった時期です。工場で働くためには、裾を引きずった長いドレスは無用のものとなりました。バスに乗り工場や職場に通う女性たちには、ごてごてした装飾は必要なかったのです。時代は、贅を尽くした装飾的な衣装から、快適で動きやすい服装へと変わりはじめました。服装の生産や販売に関わるデザイナーや業者は、女性たちが背筋を伸ばして活発に動ける服を売り広めました。でも、この女性の服装には、男性の服とは異なる流れがありました。戦時中は、男女とも便利なポケットがいくつもありました。男女平等に目覚め始めていた女性には、喜ぶべき現象でした。この便利なポケットは、戦時に現れ、そのあとは、あっという間に消えてしまうのです。もちろん、ポケットが無くなっても、女性の服装は動きにくくも、窮屈でもなくなりました。便利なポケットは、近代になってもヴィクトリア朝時代と同様に、現れては消えています。20世紀と21世紀を通して、女性のポケットは現れては消えるパターンをたどります。今回は、女性のポケットという視点から、ジェンダーの課題を眺めてみました。蛇足ですが、ジェンダーとは、生物学的な性(sex)とは異なり、社会や文化によって規定された性差を指すことになります。そして、ジェンダーには、服装や髪形などのファッション要素を含むとされます。今回は、この服装の一部であるポケットに焦点を当てたわけです。

 クリスチャン・ディオールは、ディオールの創業者になります。ファッションには、大きな影響を与えた人物になります。彼の言葉の中に、男性服は実用性のため、女性服は美のために作られているというものがあります。ディオールの言葉は、男性服と女性服ではデザインの裏にある意図が違うことを暗示していると言われています。特にポケットの有無は、社会的差別や政治的差別があると見る人もいます。女性と男性のポケットのサイズの違いが、社会的差別や政治的差別とみるわけです。それを調査で、実証された方がいました。調査した女性のポケットのうち半数以上が財布、携帯電話、ペンなどをしまうことのできないものでした。女性のポケットが、男性のものより平均して48%短く、6.5%狭いことを発見したのです。女性の手が、女性もののポケットに指のつけ根までしか入らないのです。今日の女性のポケットは、男性のそれよりあきらかに小さくて、不便なことを示しているというわけです。ポケットのサイズは、女性の身体を規制し、女性の自立性を制限するという主張です。ポケットの数や形態は、男社会にもとづいていることの証しとするわけです。21世紀前半、ポケットのジエンダー問題にまつわる議論ではディオールの言葉が多用されています。中流ファッションは、着用者のニーズではなく、美観によってのみザインされている状況がありました。この状況を、ジェンダーの視点から否定的に捉える流れが出てきたわけです。

 ここで、歴史を少し振り返ってみます。18世紀ごろになると、ポケットの数、位置、仕上げの装飾を詳細に関する記述が増えてきます。男性服には必ずポケットがあるという決まりごとが、この時代に確立していきます。ポケットは、男性服では必要コストとして受け入れられていきました。スーツは、身分証明書、計測器具、聖書などを多かれ少なかれ整理し携帯するようになります。このスーツのポケットはたんなる布製の覆いというより、戸棚やタンスに似ていったようです。当時の衣類製造業者は、服ごとのパーツを減らして単純化したパターンを用いました。ポケットは、うまくつけるにはコツがいるうえ、製造コストを押しあげるものだったのです。この当時、労働者や農民は、自由の身であれそうでない場合でも、スーツを着ることは皆無でした。余談ですが、アメリカではこの当時、黒人奴隷制度が始まっていました。もちろん、奴隷の服には、ポケットがありませんでした。奴隷所有者たちがポケットを排除したのは、節約のためだけではなかったようです。卵を盗めないように、ポケットがついていなかったともいわれています。ポケットの有無は、社会的身分や上下関係を日常的に「見える化」したものでもあったのです。

 時代が進んでも、男性服し比べて、女性服でのポケットの普及は遅々として進みませんでした。女性服でのポケットの普及は進みませんでしたが、女性たちはこれを気にすることはありませんでした。現在とは違い、格差に対して女性が不満の声をあげることはまずなかった時代もあったのです。こんにちとは違い、格差に対して、女性が不便さを感じなかったともいえます。ポケットの代わりに、必需品の持ち運びには手提げ袋があり、女性たちはそれで満足しつづけたという事情もあったようです。現代のハンドバックは、19世紀後半に登場した男性の手提げかばんから派生したものです。手提げ袋が、洗練されたハンドバックに代わることで、女性は満足する経過をたどります。一方、ハンドバッグはただのファツショナプルなアクセサリーというだけではなくなります。女性が、自立するツールとしての役割を果たすことになります。近代化の波の中で、女性の権利意識が芽生えてきます。この流れの中で、女性服は、ようやく現実的で機能的な要素を取り入れることができるようになります。スカートやドレスに、「子どものリュック」並みに大きなポケットがつけられるケースもでてきます。その一方で、男性服は実用性のため、女性服は美のために作られるというオディールの呪いも健在でした。女性服が男性服へ近づくことへのためらいと葛藤、女性の権利の獲得と女性の美の獲得という葛藤が出てきます。これらの両方を求める気持ちが、女性服の機能性と美を求める流行の間で繰り返されてきたようです。

 服装を、ドレスメーカーの立場から眺めてみます。ポケットに関して、19世紀後半まで衣服を生産していたドレスメーカーの言いなりという状況があります。ドレスメーカーは、大量生産を可能にする簡素化に関心がありました。彼らは、単純化したパターンを用いたスーツやセパレーツを作製しました。ドレスメーカーは、社会へ進出する女性たちへの配慮が不足していました。彼女たちに、機能的な手段を与えることを怠っていたわけです。でも、徐々に権利意識に目覚めてきた女性の中には、スーツ自体をいくらかでも支配したいと願う層も出現した。彼女たちの願いは、1950年代にはジーンズの中に現われます。1970年代には、タキシードを取り入れるようになります。女性は、1980年代にはパワースーツを自分たちのものに変えていきます。女性服は、広がる女性の役割と活動に適応するようになります。その象徴が、ポケットの数と大きさによって示されていきます。女性服は、ますます男性のワードローブを取り入れるようになりました。20世紀で女性服に起きる変化の多くは、男性服の形や象徴的な権威を取り入れるものでした。でも、女性服が現代化へ向かってもポケットの数は同等からはほど遠いという事実も残っています。

 余談になりますが、第一次世界大戦勃発時、活発に動ける服を売り広め、ポケットが華々しく登場します。便利なポケットは、戦時の厳粛な効率性などを必要とる時に現れます。第二次世界大戦は、第一次世界大戦とは違い機動戦でした。新しい戦争は、動きの少ない塑壕戦が主戦場であった第一次世界大戦とは違う動きが求められました。第二次大戦開戦直後の数年間で、それまでとは様相が異なる戦争に合わせて軍服も姿を変えていきます。レザーで裏打ちされたポケットには、小型の火薬入れやその他の弾薬、そして必需品をしまう場所になります。軍隊のポケットは、軍人の不屈の精神、意志の強勇敢さを歴然とさせました。でも、当時の米軍の婦人部隊のコートには使えるような胸ポケットはいっさいついていなかったのです。ウクライナ戦争などのニュースを見る中でも、ベローズポケットつきジャケットは、現代の軍服では見慣れたものになっています。

 最後になりますが、20世紀は、男性モードがまず優位という形で始まりました。続いて、女性の社会進出に伴い、女性モードが浸透する経過をたどります。各時代時代にふさわしいジェンダーの美意識が、20世紀を謳歌してきたわけです。女性の男性服着用は、男性に限定された社会的役割を女性が担うという表現でもありました。時代の流れは、女性の社会進出を後押ししてきたのです。服装の変化には、恋愛やエロスのエネルギーが潜んでいました。アパレル企業は、このエネルギーを陰に陽に使い分けてきました。でも、この恋愛やエロスを利用する路線は、狂いはじめました。現代になると、男性と女性の衣服は、融合するかのように互いに近づいてきています。接近の仕方は、女性の衣服が男性のそれを併合するものになっています。女性の衣類が、市場では男性の衣類を凌駕しているわけです。女性が男性服を着用して、男性に限定された社会的役割を女性が担う方向に向かいつつあることを示唆しているのかもしれません。確実に言えることは、最近のモードの特徴が両性的なものへの大きな流れができつつあるということです。服装の世界では、女性の優位が伝えられています。でも、ポケットの数と機能が男性を凌駕したときに、服装以外の分野でもジェンダーギャップが本当に無くなるときなのかもしれません。

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