保守とリベラルの相克が、世界のいたるところに現れています。なぜ起きているのか、関心がありました。こんな疑問に応えるヒントが、ジョージ・フリードマンの「100年の予測」という本にありました。それは、世界の主要宗教における保守(伝統)とリベラル(世俗)の葛藤が人口問題から起きているという指摘でした。1970年代末からソ連崩壊までの間、米国はフガニスタンを支援しました。米国はアガニスタンを支援し、ソ連に対抗し得る勢力を生み出そうとしたわけです。アガニスタンを助ける中東のイスラム戦士に米国は、諜報技術を伝授し、ソ連を苦しめます。そのイスラム戦士は、ソ連崩壊したとたん、米国に楯突くようになりました。彼らはビンラディンをリーダーに、作戦行動をいくつかおこなった後、2001年9月11日に同時多発テロ事件を起こします。その後、米国はアフガニスタン、続いてイラクに派兵し、大きな痛手を受けます。一方で、米国とソ連の接触を通じて、イスラム世界の内部には、大きな動揺が生じていました。それは、人口構造の変化を受けて、イスラム世界の女性の地位にまつわる慣習が変化しつつあったのです。「女性解放」に関して、伝統主義者と世俗主義者との争いでイスラム社会は混乱に陥っていました。伝統主義者(アルカイダやタリバンなど)は、女性が世俗化を求める風潮は米国のせいだと主張したのです。
アルカイダが戦いの大義として掲げていたのは、伝統的な家族観でした。イスラムの教えにあるように、家族と社会の一貫性を保つために、女性を厳しく律しなければならないという宗教観です。それは、第一に、家庭は女の聖域であり、家庭外の生活は男性の領分であることです。第二に、性は家族内、家庭/内にとどめられるべきものであることです。婚姻外、家庭外のセックスは許されないとなります。第三に、女性の主な務めは,出産と次世代の養育であることです。社会に進出する女性は、家庭の外にいるというだけで婚外交渉を促しているとされてしまうのです。この伝統主義者の宗教観が、米国流の自由主義や女性の社会進出を否定的に捉えていました。もっとも、女性に対するこのような見方は、伝統的なカトリック教義、原理主義的プロテスタントもよく似た立場を取っています。でも、過去100年間で人間の生活、特に女性の生活の構造そのものが変容してきました。21世紀では両者の対立が激化していますが、伝統主義者は防戦に追われ、勝ち目のない戦いを続けているように見えます。
それでは保守(伝統)とリベラル(世俗)の葛藤が、なぜ人口問題と関係しているのでしょうか。100年前頃の人は、たくさん子どもを持つことを厭いませんでした。子どもは、富の基盤であり、子沢山は農耕社会において、富をもたらす源泉でした。女性が子を産み、母子ともに出産を乗り越えられれば、一家の暮し向きは良くなりました。できるだけ多くの子を産むことが女性の主な仕事だったのです。人間はセックスが好きで、避妊せずにセックスをすれば子どもができます。性的欲求を満たしながら、富の源泉である子どもを多く持つことは理想でもありました。近代以前は、子どもたちが親の面倒を見てくれることは慣習でもありましたが、経済的にも合理的な構造だったのです。子沢山は、家族に繁栄と老後の収入をもたらす存在でした。イスラムの三つの教えは、伝統主義者には合理的な富と社会保障を約束するものだったのです。この習慣は、世界の主な宗教にも残存するように、そう変わるものではありませんでした。科学が進歩しても、伝統的慣習は、そう簡単には変わらないものです。家族連れが大挙して都市に移り住むようになってからも、子どもは貴重な資産であり続けました。たとえば、産業革命初期の英国では、子どもが六歳になれば、親は旧式の工場に働き手として送り込み、賃金を受け取る光景がありました。初期の工業社会では、工場労働者といっても大した技能は必要とされなかったためです。
近代工業が徐々に形ができてくると、教育を受けた労働者が必要になってきます。工場が複雑になるにつれて、六歳児では用を足さなくなります。ある意味、産業の高度化とともに、子どもの経済的価値は低下していきます。子どもが経済的に役立つ存在になるためには、学校に行って、読み書きそろばんを学ばなくてはならなくなりました。子どもは、家族の所得を増すどころか、金食い虫になりました。衣食住に金がかかる上、どもが必要とする教育の量も質も劇的に増えていきます。読み書きやプログラミンする能力は、農業社会おいて草取りや種蒔には必要ないものです。でも、産業が進めば進むほど、必要なスキルが求められます。企業も生産性を高め利益を多く得るためには、仕事のやり方を常に変えていきます。その対応に追いつくために、課題解決能力が求められます。そこには男女の区別よりも、解決能力の優劣で選別されていきます。とは言え、世界の先進国である米国にも、伝統とリベラルの混在があります。米国文化は、聖書とコンピュータ、伝統的価値観と過激な革新がぎこちなく融合したものです。でも、世界で最も富んだ国になっています。
余談になりますが、トルコ当局がアメリカ人牧師を拘束した事件がありました。トルコに拘束された牧師は、キリスト教プロテスタントの長老派の聖職者でした。牧師の拘束に対して、トランプ米大統領は2018年8月にトルコへの経済制裁を発動したのです。この経済制裁で、トルコ通貨は大暴落しました。トルコ当局が10月に牧師を解放した後、通貨は回復し、以前の経済状況を取り戻したという流れでした。この牧師の釈放は、アメリカ中間選挙を前にトランプ氏の支持基盤を固める働きをしました。トランプ大統領は、キリスト教プロテスタントの長老派なのです。長老派は、選民意識を持っています。選民意識を持つ人は非難をされても、打たれ続けても、信念に向かって一途に進み続ける傾向があます。彼らは、自然が破壊され生物が地上から消えていくことに、それほど哀惜(あいせき)の念を持ちません。地球温暖化や進化論をあまり信じていないという面もあるようです。トランプ大統領が温暖化論争に対して、関心が低い理由もこの辺にあるのかもしれません。選民意識を持つ人は、神に救われる人と滅びる人が生まれる前から決められていると信じています。彼らは、自分が正しいと思ったら、決して怯むことはありません。宗教の力は、衰えてきたと考えられてきました。でも、一神教の世界では、まだまだ力を温存しているようです。これらの人達もデジタル技術を使いながら、米国の富を増やしていくことに貢献しているのです。
最後になりますが、これまで人口の減少は、国力の低下に直結しました。産業革命以降、人口増加は好ましい現象でした。この現象を支えた要因は、近代医学の発達と食糧供給量の増加になります。特に、18世紀末以降の基本的公衆衛生の導入により、乳児死亡率の低下し、さらに平均余命の延長する成果を得ることができました。この成果は喜ばしい反面、不安も出てきました。人口が増えれば、食糧、エネルギー、物資という形でますます多くの資源が必要になります。人口増加が、地球温暖化や生態系の激変をもたらすと考えられるようになったのです。人口増加を抑制しなければ乏しい資源は枯渇し、環境は深刻な打撃を被るという不安です。世界が深刻な人口爆発に直面していることは、数十年前から一般認識になっていました。ところが、現在になり、新しい現象が現れてきました。増加するとされている人口は、減少に向かうという状況が生まれているのです。この状況は、先進国において顕著に現れています。人口増加の図式は、21世紀においては、もはや成り立たないのです。これからは、人口水準をいかに保つか、減少した人口を技術力でどのように補強するかが課題になってきました。100年以上前は、老年を迎えるほど長生きした人にとって、子どもたちは老後のよりどころでもありました。現在は、少数の若年労働者で急増する高齢者を支えるという状況が生じています。女性が、家庭に閉じこもって、家庭を守るだけでは、成り立たない社会が訪れているようです。人口減少は、家族や日常生活のあり方を変容させています。家族の変化では、欧米、そして日本ですでに起こっていることが、世界中に広がっています。現在、未来を上手に乗り切る家族の知恵が求められています。
