人工たんぱく質がパンドラの箱にならないようにする アイデア広場 その1533

 東北大と東京大のチームは、縄や鹿児島の奄美大島に生息するハブが持つ毒の成分を調べました。その成果として、アルツハイマー病の原因物質を分解する成分を突き止めたのです。このチームは、ハブ毒の成分からたんぱく質を分解する特定の酵素を抽出しました。この酵素には、アルツハイマー病の原因物質を分解する作用があることを突き止めたのです。シニアにとっては、嬉しいニュースになります。この酵素が、原因物質を分解する作用があることを、培養細胞を使った実験で突き止めたのです。アルツハイマー病は、シニアの認知機能が低下させていきます。アルツハイマー病の原因物質には、「アミロイドベータ」が有名です。アルツハイマー病は、アミロイドベータのたんぱく質が脳に蓄積され、神経細胞を傷つけることで起こるとされています。この原因物質が脳からなくなれば、アルツハイマー病の進行が抑止されるとされています。アミロイドベータを分泌する培養細胞に、ハブから抽出された酵素を加えたところ、蓄積が約90%も抑えられたという嬉しい結果でした。さらに酵素をアミロイドベータにくっつけると、直接分解することが分かりました。へビの毒という強い成分だからこそ、人間の体内で力を発揮すると期待されています。今後、マウスを使って毒性の影響や効果を調べ、実用化への道を探るようです。

 毒の有効利用の研究は、以前から行われてきました。トリカブト(附子、烏頭)は量をまちがえると、嘔吐や口のしびれが起き、たちどころに死に至る猛毒になります。テレビの殺人事件では、良く出てくる設定です。でも、この猛毒のトリカブトを乾燥させたものは、漢方の世界の「附子」となり、貴重な薬剤になるのです。トリカブトはリウマチ、関節痛、弛緩性下痢、尿利不全などに、得がたい薬効を現わします。この猛毒植物の薬効は、有益な医薬品として、漢方薬だけでなく新しい薬としての価値が見いだされてきています。蛇足ですが、この強い毒の作用は、トリカブトに含まれているアコニチンという物質の性質によるものです。アニコチンは、神経細胞のナトリウムチャンネルを勝手に開く作用があります。この物質は、細胞内へ大量のナトリウムイオンを流入させて、信号が伝わるのを邪魔する働きがあります。呼吸をしたいという信号が伝わっても、信号が伝わらないために呼吸困難になるわけです。アコニチンの作用は、神経回路の信号伝達を阻害することになります。この物質をある一定の量を超えて過剰に摂取すると、知覚神経が麻痺し、呼吸が阻害され症状が現れます。アコニチンを過剰に摂取すると、ついには窒息死を起こすことになります。

 毒の使用は、旧石器時代からはじまっていました。投げ槍の効果を上げるには、槍先を鋭くする必要がありました。動物に部位に容易に刺されば、捕獲が確実になるからです。人類の知恵は、刺さるだけでなく、そこを麻痺させれば効果的に捕獲できることに行き着きます。効果的に獲物を捕獲する手段として、弓と矢、そしてその矢に毒を塗って使用したわけです。毒矢の使用は旧石器時代に始まり、その使用は世界のほとんどの地域で見られました。狩猟毒の矢毒は、トリカブト、イボー、ストロファンッス、およびクラーレの4種が知られています。アジアでは、トリカブトとイボーが有名です。この地域の毒矢文化の特長は、北緯20度を境界として、北と南にはっきり区分されます。北緯20度を超えるとトリカブト毒矢文化圏になり、赤道付近の南の地域は、イボー毒矢文化圏になります。南アメリカでは、クラーレといいう毒になります。アフリカでは、ストロファンッスが有名です。「矢じり」と「鈷先」などにこれらの毒を塗布し、狩漁猟および戦闘に使用していました。科学的にみると、毒と薬の間に明確な違いはないのです。毒の量が少な過ぎて、効果を発揮しない場合は「無効量」と呼ばれます。効果を発揮する量は「中毒量」(効果量)と呼ばれ、死に至るほどの量は「致死量」になります。毒の強さを表す指標となっているのが、LD50という値になります。この意味は、LD50の量を投与すると、実験動物の半数が死んでしまうと予想される値を示しています。たとえば、青酸カリは5~10mgを投与すると実験動物の半数が死んでしまうということになります。

 毒と薬の古典的関係が、新しい波の影響を受けるようになりつつあります。ワシントン大学のデービッド・ベーカー教授は、2024年のノル化学賞を受賞した科学者です。ベーカー氏は、たんぱく質の設計と構造予測の両方を手がけてきた先駆者になります。たんぱく質は、人の体重の約16%を占めています。このたんぱく質は、20種類あるアミノ酸が数十~数千個の数珠つなぎになりながら、人体を構成しています。私たち人間を含む生物は、進化の過程で様々なたんぱく質を生み出し利用してきました。でも、進化の過程ではないたんぱく質も、人工的に作られるようになったのです。ベーカー氏は、2003年、93個のアミノ酸でできた人工たんぱく質「Top7」を合成に成功しています。彼は、自然界にないたんぱく質を生み出したのです。「Top7」は、生物のたんぱく質の一部を改造したものではありません。この「Top7」は、コンピュータを使ってゼロから設計したものです。「Top7」は、自然界のたんぱく質とは構造が全く似ていません。この成功以来、人工知能(AI)を使って、医療などに役立つたんぱく質が作られ始めました。もちろん、研究の仕方により、毒にも薬にもなる新たな物質が作られる下地ができたのです。

 24年のノーベル化学賞はベーカー氏とともに、デミス・ハサビス氏とジョン・ジャンパー氏も同時受賞しました。彼らは、米グーグルの研究者でした。ハサビス氏とジャンパー氏は、医学や生物学に革新をもたらした功績が評価されました。ハサビス氏は、先進的なAI技術をたんぱく質の構造予測に応用し、予測精度を飛躍的に高めたのです。AIによって治療薬などの候補を効率良く見つけられれば、研究は速く進められるようになります。この設計には、アミノ酸配列からたんぱく質の構造を高速で予測することが可能になりました。AIによって、機能を調べたり改良したりする実験を桁違いに速く進められるようになったわけです。理論的には、自然界に存在しないアミノ酸配列を用意することが可能になります。自然界に存在しないアミノ酸配列で、膨大な種類の人工たんぱく質を新たに作りだせる技術が出来つつあるわけです。体内の化学反応を起こす酵素や免疫反応を担う抗体は、たんぱく質です。この未知のたんぱく質を、短時間で予測し、実用化まで短時間で実現することが可能のなりつつあると言うことです。

 AIによってたんぱく質に関する研究が加速する一方で、悪用の懸念も顕在化しつつあります。未知のたんぱく質を投与した場合、人の体とどのように反応するのかの知見が乏しい現実があります。自然界に存在しない未知のたんぱく質を投与した場合、「人体にどのよう反応するのか」は理解が不十分です。「体内で分解されずにちゃんと機能するか」、「大きな副作用は起こさないか」などの知見はまだまだ不十分です。もっとも、AI技術は狙った構造や機能のたんぱく質を、自由自在に設計できる段階にはないようです。大阪大学の古賀信康教授によると、AIによって毒物も手軽に作れるようになる可能性があるという説もあります。この分野に関連する研究者たちは、研究を平和目的で進めるための行動原則を発表しました。これは、行動原則は研究を無法地帯とせず、記録を残すなど一定のルールを整備するためのものになります。この行動原則に、世界の科学者約180人が署名しています。ベーカー氏らも2024年3月、研究を平和目的で進めるための行動原則を発表しています。

 最後になりますが、人間はいつまでも美しい自分を求める動物のようです。美を求める手法は、日進月歩です。成長ホルモン分泌の低下、シワの発生、化粧品、コラーゲンの注入といったものの上をいく方法が開発されてきています。その手法は、猛毒のボツリヌス菌から作られています。それは、A型ボツリヌス毒素から開発された「ボトックス」という商品名の薬品です。ボトックスは患部に注射することで、表情筋の動きを抑制してシワをとる効果があるのです。コラーゲンを注入したり、メスで切開手術よりはるかに簡単で効果的と言われています。ボツリヌス菌は、皮膚科や美容整形外科でも注目を集めています。A型ボツリヌス菌には、アセチルコリンの放出を抑制する作用があります。この菌の毒素は、神経筋接合部などでアセチルコリンの放出を妨げる働きをします。すると、神経伝達物質アセチルコリンは、結合先を失い、筋肉へ情報を伝えられなくなるわけです。筋肉を収縮させ、力を出そうとしても、情報が伝わらないために力が出せない状態になります。この状態は、一般的には望ましくないものです。でも、アセチルコリンの放出を抑制することによって、適度に筋肉を弛緩させることは、シワをなくす効果に繋がります。適度な筋肉の弛緩が、シワをなくす作用に繋がるわけです。多くの種類の人工たんぱく質の出現は、人間に幸福をもたらす一方で、多くの災害をもたらすパンドラの箱にならないように気を付けていきたいものです。

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