近年、ウェルビーイング(Well-being)に対する社会的な関心が高まっています。ウェルビーイングは、幸福とか幸福感と訳され人生の満足度や充実感、ポジティブな感情を意味すると理解されていまます。このウェルビーイングは「幸福」とも訳せますが、同じ意味の幸福(Happiness)とはニュアンスが異なるようです。ハピネスは「瞬間的」に幸せな心理状態という捉え方になり、一方ウェルビーイングは「持続的」という意味でとらえられるようです。最近の診断技術は進歩し、個人の幸福度をかなり正確に安定して測れる自己診断の手法が確立されています。この手法を使う企業が、社員の幸福感を高めて、業績を上げるケースも増えているのです。社員が束の間の幸福感を味わうたびに、ポジティブ感情が生じて、創造性と革新性が高まり、それが業績に結びつくという好循環が生まれているわけです。企業や経営者がハッピーで上機嫌な職場をつくれば、病欠も減り医療費も減少することも分かってきました。一方、幸福度の低い社員は病欠も多く、他の社員よりも成績を上げることが少ないと評価されるようになってきています。ウェルビーイングには、現在のポジティブな気分と将来に関するポジティブな展望の両方が含まれるという見方が主流です。
幸福を目指す新しい制度に変わりつつあるにも関わらず、人間の行動はなかなか変わらないとされています。歴史的背景や社会的背景によって形作られた人間の行動様式は、新しいものを受け入れるまで時間がかかるとされているわけです。近代化の初期において、心理学者のピアジェやエリクソンは、発達段階説の中でアイデンティティを強調しました。エリクソンは、アイデンティティ(自己確立)の概念を唱えました。そして、この概念は広く受け入れられました。でも、近代化が進むと、エリクソンのいう自己確立は難しいことが分かってきます。リースマンは、近代社会では自己が多元的になっていくことは避けられないと主張していきます。近代化初期において、身分や血縁、階級、家族、性など、従来の固定的な制度がまだまだ社会の主流でした。近代化が進むにつれて、身分や血縁、階級、家族、性など、従来の固定的な制度が、流動化していくわけです。身分や血縁が強い固定的社会では、全人格的な人間関係で結ばれています。全人格的な人間関係では、お互い自分の全てをさらけ出す必要があります。ある面で、face to faceの関係が求められます。近代化は、「全人格的な人間関係」から「状況的な人間関係」への変化が顕在化しているとも言えます。この全人格的な人間関係」から「状況的な人間関係」への変化の中に、ウェルビーイング(幸福)の捉え方も変わっていったように見えます。でも、以前の名残から、抜け出すことに躊躇している人も多いようです。
日本人の労働力は、1960年代から90年代には大きな生産力を発揮しました。この時代は、消費者も3種の神器などの均一なものを望んでおり、大量生産が極めて正しい経営戦略でした。人は成功体験を繰り返すことにより、その評価形態を受け入れます。成功体験と働き方、そして評価形態が一度固定化すると、なかなか変えることができないようになります。高度成長の時代とは変わった現在、新しい働き方と評価形態が求められています。完璧にできあがっている高度成長時代の仕組みを、新しい社会にどうやって入れ替えるかを試行錯誤している状況があります。その試行錯誤の一つに、ジェンダーの問題があります。男性にくらべ、女性のほうが否定的に評価される流れがありました。男女が短い時間で勝負する形態が、今の評価や報酬の男女の格差になります。女性の利点を生かすには、それ相応の時間とスキルアップが求められます。女性が、子どもの産める様な職場環境を用意することは重要です。でも、高度成長期の職場は、子どもが産む時期になると退職という暗黙のルールがありました。そのことが、数十年経過した後、少子化という事態を生み出しました。少子化を避けるためには、バランスの取れた労働人口を考慮した職場環境の構築が望ましい姿だったのです。一時的な成功体験にとらわれない働き方が、社会全体として理解しておくことが必要だったようです。
過去を悔やんでも、未来は良くなりません。今は、過去の失敗を取り返す努力が求められる時です。ある企業は、時代に求められるこの実践をしています。この企業では、同じ成果を上げた場合、育児女性がいるチームが表彰されるのです。この企業の面白いことは、女性の入っているチームが前期で成績を達成した場合、後半はハワイ旅行に行ったということでした。チーム毎に行われる表彰の評価の基準は、一定の労働時間を超える人が一人でも出たら表彰の対象外にするのです。高度成長期の評価基準とあまりにもかけ離れたケースになっています。この基準が、女性の働く能力を向上させているのです。また、ある生命保険会社では、業務にかけた時間がある一定より長いと、評価がマイナスになってしまうのです。業務にかけた時間がある一定より短いと、プラスの評価が入るという仕組みです。営業成績が1位だった人が、生産性ポイントを加味すると2位になる逆転のケースも出てくるわけです。働きやすい職場は、ある意味ウェルビーイングの状況にあるといえるのかもしれません。
人間は、厄介な動物です。快を求め過ぎると、不幸になると言うのです。ウェルビーイングについての研究が進むにつれて、幸福を求めすぎると、負の場面もでてくることが明らかになり始めました。ウェルビーイングについては多くの場合、プラスの側面が取り上げられます。このことから、幸福を重視することは良いことだと思われるかもしれません。でも、幸福を重視しすぎると、または幸福を求めすぎると、ウェルビーイングに悪影響が及ぶことが分かりました。人は何かの目標を定めた際、自分が高い水準に達しないと失望を感じることがあります。幸福を重視する人にとっては、通常より高い水準を求めるようになりがちです。高いレベルを望むために、達成されないことが多くなります。結果として、達成されない挫折感、失敗したなどの失望を感じるようになります。幸福を重視する人は、高い水準を求めるようになるため、ウェルビーイングが下がるというわけです。困難に陥れば、それを乗り越える逞しさも人間にはあります。人間は、仕事をすることにより、成長していることが分かると前向きになります。成長が実感できれば、目分にできる仕事の範囲が広がり仕事に対する意欲も高まります。幸福に目を向けるのではなく、成長に焦点を当てるように自分を鼓舞する手法を考える人たちも出てきます。これは、日々の達成感や仕事の成果を見ることにより、ウェルビーイングを体得するという手法になります。
余談ですが、幸福には、一つの形があるわけではないようです。仕事を続けてできる楽しさよりも、仕事を辞めてできる楽しさの方が大きくなるケースもあるようです。お金はあったほうが良いのですが、その上でもっと大切にすべきものがあるという人もいます。甘い昧だけが良い味なのではなく、コーヒーの苦みや渋みなども、大人の昧の豊かさになるようです。楽しさを上手く味わうためには、計画的でなければなりません。今が楽しくないのは、ずっと以前に楽しさの種を蒔かなかったせいなのです。楽しさを形づくるためには、ある程度準備期間をかけて、学習とか訓練とか経験とかが必要になるようです。これは、1年から100年とかの年数かけて作り上げるものになるのかもしれません。幸福には、面白い性質があります。親が変な顔をしてみせると、赤ちゃんが自然にまねをする光景はほほえましいものです。親がほほ笑むと、赤ちゃんも微笑み返します。微笑みは、お互いに伝染するものです。幸福には、このように広がる性質もあるようです。感謝を常に忘れない人たちは、抑うつ的になりにくく、不安や孤独も感じにくいといいます。感謝を忘れない彼らは、よりポジティブで、EQ (心の知能指数)が高く、寛容です。幸福の要素に、ポジティブや感謝の要素も含まれているようです。人間というのは、理性的に判断をするものだと信じられてきました。でも、一人の人間の理性だけでは、幸福を捕まえることをできないようです。幸福だと感じている人たちは、友人、同僚、家族との人間関係を大事にしており、それを推進力としているようです。幸福は、個人の姿勢、人間関係、社会との関りという3つの要素の複合形態の中に見いだされるようです。
最後になりますが、最近、ワーク・エンゲージメントという言葉を聞くようになりました。これは、仕事に対してのポジティブで充実した心理状態のことです。ワーク・エンゲージメントは、仕事に対して熱意と没頭、そして活力の3つが高いという要素を持っています。この特性の高い人は、楽しんで仕事をしています。社員のワーク・エンゲージメントの高い社員との接触は、顧客の満足度が高くなることはよく知られています。活気のある店舗では、顧客の満足度も高く、またリピーター率も上がるというわけです。それでは、どうすればこのような良い状態を作れるのでしょうか。目的を達成するためには、途中に、多くの小さい目標を設けることが一つの方法になります。目標と目標までの時間的空間的距離を短くすると、達成する回数が増えます。つまり、達成感を常に味わうことができるわけです。もう一つ大事なことは、自分の精神テンポと異なるテンポに合わせて作業をすると、作業効率が落ちるという点です。時間の感じ方や適切な行動のペースには、個人差があります。このことを考慮して、自分の目標を細かく、具体的に設定することが重要になります。小さな目標が達成されれば、充実が得られます。これをバネに、自分のペースで生産性を上げる工夫をしていくことになります。