文部科学省が、2024年度に実施した小中学生の全国学力・学習状況調査(全国学カテスト)が、7月に公表されました。この学力テストで、小中学生の学力調査で得点の低下が見られたのです。得点低下が見られた教科は、小学校の国語・算数と中学校の国語・数学・英語の計5教科のうち4教科(英語、算数、小学国語、中学国語)です。特に中学校英語が最も大きく低下し、小学・中学の国語、小学校算数も前回2021年度調査からスコアが下がりました。でも、中学校数学は大きな変化は見られなかったという結果でした。この結果は、見方によって大きな問題を含んでいます。その一つは、小学校6年と中学3年の時点における得点しか調べていない点にあります。この調査は、点数の高い人と低い人を比べて、その特徴を述べているだけになります。得点が下がった理由を、精密に調べることができないテストでもあったのです。精密に調べる方法は、個人を小学校1年から高校3年まで連続して追跡するパネル調査になります。同じ子どもを小学校1年から高校3年と繰り返し調査をする追跡調査がパネル調査というわけです。
子どもの学ぶ権利を保障し、将来の日本を支える人材を養成することが求められています。学校は、理解度に応じた宿題や補習を提供することで授業が分からず取り残される子どもをなくすことに努めています。授業には、子ども達が授業を理解し、学習進度の目標に到達しているかどうかを調べる評価の過程があります。子ども達の理解度に応じて、それぞれの支援が行われています。世界の流れとして、子どもの学習履歴を用いて、生徒個々人に最適化された学びを提供するための実践が始まりつつあります。デンマークでは、国の統計省が、国内の公立学校についての授業を公開しています。この国は、どの先生にどの授業を何時に受けたかがわかるパネルデータを公開し始めたのです。どのクラスでどの先生にどの授業を何時に受けたかがすべてわかる仕組みです。良い成果の授業は、誰でも参考にできます。一方、日本では履修主義を重視します。履修主義は、出席日数に不足がなければ成績に関係なく進級や卒業を認める方式です。修得主義は、教育の目標に照らして一定の成績を修めていることを条件として進級・卒業を認める方式になります。日本の教育は、世界的に高い水準を誇ってきました。でも、個々人の子ども達が、どのように学習して、どのように成果を上げてきたのかを調べてこなかったのです。テストの点数が上がったとか下がったとかは、大きく取り上げられました。でも、その理由を深く掘り下げることはしてこなかったのです。デンマークのように、授業で何をしてどの先生が何をしたか、その結果はどうなったのかを知る仕組みはなかったと言えます。
近年のデジタル技術の発展は、個々人の発達成長の過程を調べることを可能にし、さらにそれをデータ化することを実現しています。たとえば、10年ほど前、マイクロソフトの主任研究員は、自分の前に現れる人間を自動的に撮影し、自分の周囲の会話をすべて録音したのです。過去10年間の記録には、10万通以上の電子メールや数万枚の写真まで含まれていました。この過去10年間の記録には、1000ページの健康記録や所蔵している全書物も含まれていました。また、別の研究員も、似たことをしていました。彼は自分の息子が生まれる前に、11台のビデオカメラと14本のマイクを自宅に設置したのです。子どもの記録は地下室に転送され、容量テラバイト単位のサーバー用の外部記憶装置に保存できるようにしました。赤ん坊の泣き声や夫婦の口論の様子が、25万時間に及ぶビデオにすべて漏れなく記億されたのです。これらの研究員は、デジタルデータとしていつでも取り出せる仕組みにしました。現在、この研究員個人や夫婦の記録する仕組みより、はるかに容易で安価にデータを蓄積し、利用することが可能になっています。たとえば、顔や服装は、ショッピングモールから街角に設置された無数の監視カメラで記憶されたデータがあります。どれだけの支払能力があるかも、クレジットカード会社によって把握にされています。何百万人もの個人の行動についての情報が、データとして提供されています。複数のサーバーに保存された情報は、相互対照できるようになっているようです。この相互対照の記録のデータベースの利用を助けるツールが、強力なコンピュータになります。過去数年で、相互対照の記録のデータベースはさまざまな種類の研究所で活用されています。コンピュータ科学者も、物理学者も、数学者も、社会学者も、心理学者も、これらのデータベースを利用して研究ができるのです。
親や教育者の中には、「学力」をテストの点数と考える人がいます。他方に、「生きる力」とか「学ぶ意欲」など、テストの点数では測りがたいと考える人もいます。人によって定義が違うので、「学力」が曖昧に取られることがあります。今回の学力テストの点数が低下したことも曖昧に取られて、次の施策に生かせないことにもなりかねません。そこで、少し絞って、テストの低下がなぜ起きたのかを調べる仕組みを探りました。結論から言うと、パネル調査の必要性になります。パネル調査の重要性は、海外では広く知られています。海外では、学力調査もパネル調査として実施されていることが珍しくありません。米国や英国は学力調査の先進国になりますが、韓国や中国も学力テストのパネル調査を行っています。学力調査に関して、日本は完全に後進国になっています。学力調査を健康診断に例えると、日本の後進性が明らかになります。健康診断で数値が悪化したら、普通は次に精密検査を行います。その検査で病状があれば、治療を行います。病状に対する治療は、データが増えるごとに改善し、治療効果を高めていきます。日本の学校教育には、このサイクルが曖昧に行われてきたのです。パネル調査の追跡で、勉強時間の増減とテストの点数の変化が連動しているかどうかを確認できます。同じ子どもを20歳、30歳と追跡していけば、教育実践の効果が分かります。パネル調査があれば、テストの点と仕事に関係の議論が本当かどうか確認できます。パネル調査があれば、教育実践の変化が得点とどう関係しているのかを検討できます。パネル調査があれば、教育政策の変化が学力テストの得点とどう関係しているのかを検討できます。ある意味、客観的データで、教育の課題が議論できる環境が整うことになります。
客観的データの不足のために、メディアでは「識者」が考える学力低下の原因や対策が個人の立場で話されています。一時点の学力調査の限界について、言及したものが少ないのです。個人の経験や勘に基づく提言によって、教育現場が振り回されることも出てきました。学力の実態は分からないままだと、個人の経験や勘に基づく提言が横行するわけです。当然、全国学力テストもパネル調査にした方がよいという意見が出てきます。追跡調査(縦断的調査)をしないままだと、日本の子どもたちの学力実態は分からないままになります。今回小学6年生と中学3年生のパネル調査から、始めても良いのです。まず、学力テスト受けた子どもを対象に、将来の進路や生活を追跡して調べたりすることは可能です。もっとも、学力のパネル調査を実施しようとすると保護者の学歴や年収も調べる必要があります。さらに、子どもに関わる教員の指導法も調べる必要もでてきます。個人情報や既得権を防波堤にして、抵抗勢力も出てくるでしょう。でも、パネル調査は実現したいものです。
余談ですが、九州大学では、教育データの活用に取り組んできました。19000人の学生と8000人の教員に、学習管理や教材配信システムが提供されています。現在開講中の4800科目で、データの活用が可能になっています。教育のデジタル化は、学生の質疑の応答や教材へのアクセス記録を容易に収集蓄積し、活用できる環境を整備しつつあります。将来的には、小学校から大学、そして社会人教育までの教育データを本人の同意のもとに蓄積する構想をもっているようです。デジタル教育の導入により、学習履歴をデータベースとして蓄積が可能になり、そのデータを利用する仕組みができるわけです。客観的な教育効果のデータが得られ、生徒や学生だけでなく、教員の客観的な指導力の評価も可能になるというものです。これらのデータの収集と蓄積、そしてその分析は、4G以前の通信環境で行われていました。4Gで約5分かかっていた2時間程度の映画のダウンロードが、5Gなら3秒程度で済むようになります。情報のやり取りの遅延時間が、1000分の1秒という低遅延が5Gの特徴になります。日本の小中学生の人数は、約1000万人です。これらの子ども達は、タブレットやパソコンを所持しています。ここにデジタル教科書が入力されれば、1000万人の子ども達の学習の進捗状況が、ビックデータとしての蓄積、そしてAIによる分析が可能になります。AIの得意とする機械学習には、画像データの活用も含まれています。教室の情況(子ども達の授業に取り組む姿勢や友達関係、その会話など)も、データとして蓄積されることになります。その中で、各大学が求める生徒や人材を入試や推薦入試で入学させれば良いことになります。一発勝負の大学入試よる選抜よりも、継続的観察による選抜の方が多様性という面で、優れた選抜方式になるかもしれません。
最後になりますが、今回の学力テストでは、テストの得点と学校外での勉強時間の相関関係は見えても因果関係は分かりません。得点とスマホ使用時間の間に相関関係は見えても因果関係はわかりません。パネル調査をしないままだと、どうすればよいのかという見通しも立たない状況にあります。でも、打開するツールと工夫が開発されつつあります。日本では、タブレットがデジタル教科書のツールとして配布されています。最近、このツールには別の利用方法もあることが分かってきました。こどもに配布したこのツールを活用して、心身の変調を把握するなどの不登校対策を行う教育委員会も出てきました。ある教育委員会は、子どもに日々の気分や睡眠時間の情報を端末に入力するよう指示しています。この教育委員会は、子どもに日々の気分や睡眠時間の情報をデータ化しています。気分や睡眠時間に異変があれば、教員やスクールカウンセラーが相談に乗る仕組みになります。学習意欲の把握や心身の変調をデータ化し、教員や保護者がいつでも見ることができるようになれば、学習の支援はしやすくなります。学習時間は、長いにもかかわらず得点が低い理由が、寝不足にあったりする事例が出てくるかもしれません。
