経済成長が必ずしも幸福感や生活の満足度を高めるわけではないことは、先進国の中で証明されてきました。福祉の理想を求めて、ヨーロッパの近代福祉制度は試行錯誤を繰り返してきました。その変遷は、経済力や福祉政策だけでは幸福に到達しないことを示してきた歴史ともいえます。この世界に完全無欠な福祉社会など存在し得えないと断言してしまえば、身も蓋もありません。ヨーロッパでは、幸福を求めて人間が生きていくうえで欠かせない要素に、自助努力があるということに達したようです。人間が生きるための社会基盤は、自助努力を尊重することを前提に構築する必要があると仮説を立てるようになったわけです。一方、世界で最も幸福な国といわれているブータンは、どうなのでしょうか。幸福の価値基準には、「家族が互いに助け合っているかどうか」、「睡眠はどれくらい取っているか」、「医療機関の距離はどれくらいか」、「自殺を考えたことがあるか」、「人をどれだけ信用できるか」「自分が幸せだと思うか」などにあるようです。ブータンは、貧しい国でした。他国を旅行する人びとも、少なかったのです。他の世界に存在する別の価値に関する知識が、少なかった時代が続きました。ブータンにおける高い幸福は、人々が等しく貧しい状況の中で培われてきたものでした。ブータンの人びとは、少ない物品やサービスで心の満足感を得ていたともいえます。現在、GNH (国民総幸福量)が高いとされるブータンの人びとも、最新のエレクトロニクス商品、ファッションブランドには目が輝き始めます。今回は、幸福とはどんなものかを探ってみました。
ハーバード大学などの研究チームは、幸福度を多面的に調べたアンケート結果を公表しました。この調査は、日本を含む世界の22カ国に住む約20万人の幸福度を調べたものです。残念なことですが、日本の幸福度は22カ国で最下位になっています。今回、調査の対象とした国々は、文化や宗教の多様性などに配慮して選んであります。従来の調査で測ってきた幸福感や人生の満足度に加えて、心身の健康や交友関係の項目も増やしてあります。国別で総合的な幸福度が最も高かったのは、インドネシアでした。フィリピンも日本より、幸福度の高い国になりました。日本は1人当たりのGDPがインドネシアやフィリピンより多いのですが、総合的な幸福度は劣るとなりました。日本だけでなく、米国、英国も1人当たりのGDPがインドネシアやフィリピンなどより多いのですが、これらの国よりも幸福度が劣る結果になっています。この結果について、ハーバード大学のタイラー・バンダーウィール教授は、特に日本の低迷の要因が宗教要因にあると見ています。日本人は、宗教行事への参加が少ないことを指摘しています。ハーバード大学などの研究チームは、今後も2027年まで同じ人を毎年追跡調査し、幸福度に影響を与える要因の解明をめざしています。日本政府も、国民の幸福に関するデータを集め、政策に反映しようとしています。
今回の調査では、いくつかの興味深いことが分かりました。多くの国の若者に、幸福度のスコアが低い結果が出たのです。一応その利用として、いくつかが挙げられています。一つは、この低い傾向がスマホやソーシャルメディアで自分と他人を比べる機会が増えたことによるものでした。ソーシャルメディアの影響で、若者の幸福度が低い傾向が多くの国でみられたというわけです。それを説明する仮説が、相対仮説になります。相対仮説によると、他人と自分を比較して他人より優位な状況にあれば幸福を感じます。自分が劣位にあれば、不幸を感じます。他人との比較をするから、自分の劣位が気になる心理状態です。もちろん、この状態に留まる人と打ち破ろうとする人達がでてきます。格差の存在を容認し、自分が努力して上の位置に自分で上る人もいます。この上昇速度を助長する要因が、外からやってくる政治・経済・文化の波になります。これらの要因は、身近な幸福や不幸に大きく関与していきます。
世界の若者の幸福度は、低い傾向にありました。日本に限ると、楽観主義や自由、達成感などの指標でスコアが最も低い結果となっていました。低い中でも、さらに低い人の特徴は、親しい友人がいないと答える人でした。同じように、不安や心配などを感じる人が低い傾向にあったのです。この低い傾向は、能力主義的な風潮が強まっていることが影響した可能性があると指摘されています。アメリカなどでは、能力主義だけではなく、従業員の幸せを、重視する経営者も増えています。アメリカでは、幸福をモデルにした価値転換が進んでいます。働き方改革や健康経営の重要性が叫ばれる中、幸福経営に注目が集まっているわけです。幸福度と従業員の創造性や生産性、そして欠勤率や離職率の研究も進んでいます。幸せな従業員は、会社や仕事への愛着や没頭の傾向が高いという結果も出ています。彼らは不幸せな従業員よりも、創造性が3倍も高く、生産性が30%も高いのです。経済成長は緩やかでも、心の豊かさを保ち続ければ、創造性や生産性の高い会社経営ができるようです。幸せな看護師さんや介護士さんの支援は、高齢者の要介護が重度化しないケースにも数多く見られるようになりました。広い分野で、能力だけではなく、幸福の視点から経営や労働が見直されるようになってきています。
今回の調査で面白い結果に、宗教との関りがありました。例えば、22カ国全体で週1回以上、教会やモスクで礼拝する人は幸福度が高い傾向があった点です。生きがいに関わる宗教の教えや行事を通じた人間関係が、幸福度を押し上げた可能性があるというわけです。人間関係の深まりが、社会的に良好にする事例は、宗教だけでなく、いろいろなグループ活動にも見られる現象です。この現象は、フレイルの事例で説明されています。フレイル(虚弱)は、心身の機能が衰えることです。このフレイルは、健康な状態と要介護状態の中間を現す用語になります。早期にフレイルを気づくことができれば、寝たきりなど深刻な事態になることが防げます。このフレイルは、3種に大別されるようです。1つが身体的機能の低下を示す「身体的フレイル」、2つ目は認知能力が落ちる「認知的プしイル」、3つ目は外出機会が減り社会から切り離される「社会的フレイル」になります。特に、社会的フレイルから、残り2つのフレイルに移行することが多いことが分かっています。宗教における礼拝は、人々の接触を多くすることで、「社会的フレイル」を防いでいることになります。さらに、「社会的フレイル」の観点から、研究が進められるようになりました。慶応大学などの研究チームは、マウスを使った幸せホルモン(オキシトシン)に関する動物実験を行いました。同じ母親から生まれた兄弟マウスを、単独飼いと4~5匹のグループ飼いに分けて、12週問観察したのです。すると、単独飼いのマウスは、グループ飼いと比べてオキシトシン(幸福ホルモン)の分泌量が少なくなりました。この実験では分かったことは、社会的な孤独が脳の視床下部から分泌される「幸せホルモン」減少させたことでした。仲間との触れ合いのあるマウスの群れは、ある意味、幸せな環境で生活できたとも言えます。
余談になりますが、21世紀の現在、国際政治と宗教及び経済と宗教は、お互いに直接的な関係をもたないと多くの人は考えていました。中世から近代、近代から現代へと進むにつれて、宗教が役割は衰えてきたと考えてきたわけです。でも、これらが緊密に関係する部分もあったわけです。トランプ大統領は、キリスト教プロテスタントの長老派に所属しています。アメリカの最初の移住者は、メイフラワー号でやってきたピューリタン(清教徒)でした。清教徒の中に長老派があります。この長老派は、選民意識を持っています。ユダヤ教徒と重なる部分があるといっても良いでしょう。彼らは、神様が救われる人と滅びる人を生まれる前から決めていると信じています。自分が正しいと思ったら、決して怯むことはありません。非難をされても、打たれ続けても、信念に向かって一途に進み続ける傾向があるのです。彼らは、自然が破壊され、生物種が地上から消えていくことに、それほど哀惜の念を持ちません。地球温暖化や進化論をあまり信じていないという面もあるようです。トランプ大統領が、温暖化論争に対して、関心が低い理由もこの辺にあるのかもしれません。人は、健康なときには死のことなどを忘れて生活しています。でも、死が迫って来ると、人生の意味への問い、生きている目的、過去の出来事に対する後悔、死後の世界などへ関心を持つことがあります。これが、苦悩を引き寄せることもあります。この苦悩を、スピリチュアルペインと言います。選民意識を持つ長老派のひとびとは、スピリチュアルペインをあまり感じない人たちのようです。
最後になりますが、ウェルビーイング(Well-being)に対する社会的な関心が高まっています。ウェルビーイングは、幸福とか幸福感と訳され人生の満足度や充実感、ポジティブな感情を意味すると理解されていまます。このウェルビーイングは「幸福」とも訳せますが、同じ意味の幸福(Happiness)とはニュアンスが異なるようです。ハピネスは「瞬間的」に幸せな心理状態という捉え方になり、一方ウェルビーイングは「持続的」という意味でとらえられるようです。最近の診断技術は進歩し、個人の幸福度をかなり正確に測れる自己診断の手法が確立されています。この手法を使う企業が、社員の幸福感を高めて、業績を上げるケースも増えているのです。社員が束の間の幸福感を味わうたびに、ポジティブ感情が生じて、創造性と革新性が高まり、それが業績に結びつくという好循環が生まれているわけです。企業や経営者がハッピーで上機嫌な職場をつくれば、病欠も減り医療費も減少することも分かってきました。一方、幸福度の低い社員は病欠も多く、他の社員よりも成績を上げることが少ないと評価されるようになってきています。幸福度は高める方策としては、良好な人間関係の構築があるようです。この構築を具現化した企業が、成功の道を歩むようになるかもしれません。