お医者さんが、小指の骨折を上手に治せば、痛みは長続きすることはありません。でも、治療が長引き、小指の痛みが長引くと厄介なことになります。痛みが長引くと、海馬などの大脳辺縁系のさまざまな部位が活性化します。脳は、小指の骨折症状、その時の意識、ケガの治癒への期待など加味した痛さを患者に植え付けていくのです。脳に、痛みが記憶されるわけです。痛みの記憶が強く植え付けられるほど、痛みは弱い刺激でも強く感じるようになります。患者の痛みの記憶の複雑さが主観的になると、治療が難しくなります。戦争で、腕をなくした兵士が、戦争が終わっても、なくなった腕が痛む現象があります。痛みが深く脳に植え付けられた悲しい記憶ともいえます。この痛みに関する研究が、想像以上に進んでいます。痛みの中枢が、中脳水道周囲灰白質であることが徐々に分かってきました。この灰白質の部分の活動の様子をfMRI(機能的磁気共鳴映像装置)で視覚化ができるようになりました。中脳水道周囲灰白質の仕組みがfMRIでとらえられ、主観的な痛みとの関係が明らかになりつつあるわけです。灰白質の部分が何の活動もしていないときには、痛みは生じないのです。それならば、灰白質の部分が活動しないような治療や薬があれば、痛い患者には福音になります。今、音楽がこの福音として期待されるものになりつつあります。今回は、痛みと音楽の関係に迫ってみました。
痛みと音楽に関連した研究は、各国で行われてきたようです。たとえば、2020年には、オーストリアのウィーン医科大学が治療の中で音楽を流し、使用する鎮静剤の量を減らせたと発表しています。この医科大学は、全身麻酔を受けた23人の子どもに微弱な音楽を流し、鎮静剤の量を減らすことに成功しています。また2022年には、中国科学技術大学などのチームが、音を通じて痛覚が抑えられる仕組を証明しています。中国チームは、音を通じて痛覚が抑えられる仕組みを、マウスを使った実験で証明しています。日本も、負けているわけではありません。国立がん研究センター東病院では、これまで2年間にわたって、内視鏡検査治療を受けている患者を対象に、この種の研究を進めてきました。脳波を調べる研究のデータに加え、音楽による介入の効果を確かめています。東病院は、脳波の計測と音楽を流すイヤホン型の機器を使って鎮静効果の研究を始めました。脳波のデータから分析し、患者と医療従事者の負担軽減につなげることを目指しています。
世界的に、音や映像が脳にどのような杉響を与えるのかを調べる研究が広がってきています。経験則的には、音や映像が脳に影響を与えることはよく知られていることでした。たとえば、お店の雰囲気が、食の満足度を高め、売上げに影響することが分かっています。1000店以上のレストランを運営するチェーン店では、音楽が普通に流れています。この流す曲は、ただ単に流されているわけではありません。曲に対して、お客がどのような反応を示すのかを調べながら流していいます。客の回転を速めなければならない時間帯には、ビート数の高い曲が選ばれます。食事をする客の様子に応じて、テンポとかスタイルを調節しながら、全国の店舗に送信しているわけです。その経験から、ある時期にクラシック音楽を流せば、平均して10%以上の売上げることが可能であることも分かってきました。音楽が、消費行動に影響を与えることは、周知の事実でした。さらに、映像デジタル技術の進化も、消費行動に影響を与えています。家族の記念日にレストランを訪れ、ディナーに舌鼓を打つ家族がいます。この場が盛り上がりますが、全員が頭や首にゴーグルや機器を付けていいます。ゴールからは「ステーキが柔らかくて絶品、カレーも昧に深みがある」という映像が流れています。でも、実際の食卓を覗いてみると、質素な干し肉やできあいのカレーが並んでいるだけなのです。技術の進歩は、美味しい食事を望む人間に多様なチャンスを与える可能性があるようです。音楽と映像は、脳に影響を与えていることが分かっています。できれば、どんな音楽を、そしてどんな映像を流せば、よりよく人間の欲求を満たすものになるかを、数量的に分かれば大きなビジネスチャンスになります。
お話は、内視鏡と鎮静効果に戻ります。内視鏡検査には、外科手術の時の全身麻酔と違い、麻酔医が立ち会わないことが多くなります。この内視鏡検査は「中程度」の鎮静が望ましいと定められており、局所麻酔や鎮痛剤を使います。この場合、人の意職状態や血圧から麻酔のかかり具合をチェックすることになります。でも、この検査おいて、中程度の鎮静効果を維持するのが難しい面があります。そこで、東病院は音楽が麻酔の効き目に影響を与えるかを科学的に調べているわけです。音楽には鎮静を高める効果があるとされていますが、これまで定量的なデータがありませんでした。現在は、これらを通して、データを収集している段階のようです。
音楽などに注目が集まるには、技術の進歩をいう伏線があります。注目を集めている技術には、ブレーン・コンピューター・インター フェース(BCI)」があります。BCIは、脳や神経の情報を読み取って、コンピューターなどを操作する技術になります。この技術で、手足を動かせない病気の人が、脳の動きだけでゲームを操作する試みが進められています。BCIは、イーロン・マスク氏が立ち上げた米スターアップになります。脳波の支持で機械を働かせれば、ALS (筋萎縮性側索硬化症)の患者には福音になります。この素晴らしい技術の課題は、研究で使われる脳波計の多くが脳に電極を刺すようなタイプの装置になっていることです。脳に電極を刺すようなタイプは、装着に手術などが必要となる「侵襲型」になります。」「侵襲型」は身体的な負担が重く、気軽に利用することは難しいのです。医療やヘルスケア以外に、応用が確立できていないのがBCIの現時点での課題になっています。一方、脳に負担をかけない音楽などを利用する型が、「非侵襲型」になります。「非侵襲型」は、装着や使用が簡単でヘルスケア以外への応用が期待できます。手術などを必要とせず、皮膚の表面などから脳波を読み取る「非侵襲型」の開発が進んでいます。内視鏡検査に音楽を利用する型は、「非侵襲型」になり、その成果が期待されているわけです。
余談になりますが、BCIを見るまでもなく、脳科学や神経科学とITを融合させた研究分野は今や世界の関心が高まっています。これらは、ニューロフィードバックとして具現化しています。このニューロフィードバックは、脳波などの脳活動をリアルタイムに測定し、それを可視化または音声でフィードバックすることで、脳の活動を意識的に調整するトレーニング手法になります。この手法は、1970年代にヒトへの応用に向けた研究が盛んになりました。脳波から覚醒やリラックスの精神状態を調べる研究、そして睡眠の精神状態を調べ、さらに脳の訓練や制御につなげる研究になっていきました。この手法は、注意欠陥多動性障害(ADHD)や心的外傷後ストレス障害(PTSD) の改善に対しての有効性が報告されています。メディアシークは、注目の「非侵襲型」のヘッドホン型の機器のシステムの販売を始めました。これは、ヘッドホン型の機器で5種類の脳波を計測すします。このヘッドバンド型の機器は、ストレス状態に対応するような脳波パターンを測定できます。自分の状況を、脳波で確認できるのです。スマホを通じて、リラックスした状態で勉強や試験に臨む訓練をするシステムを販売しています。訓練の結果、人によっては気分の変調示す脳波を自ら出せるようになったということです。5種類の脳波を計測し、さらにスマホのアプリなどを通じて勉強や試験に臨む訓練をするㇸルスケアのほか、エンターテイメント教育など、より広い領域にも普及ができる可能性があるようです。ニューロフィードバックは、医学だけでなく日常生活を大きく変える可能性を秘めているかもしれません。
最後になりますが、痛みに対する人類の対策は太古の時代から行われてきました。痛みの万能薬をいわれた鎮痛剤は、古代よりアヘンでした。この薬は、古代ギリシャ・ローマをはじめ地中海沿岸地域でも広く使われていました。問題は、この薬の依存症にありました。1990年頃、副作用の少ない鎮痛剤としてオピオイドの使用許可が出ました。オピオイドは、ケシから採取される成分で作られています。現代では、鎮痛剤としてオピオイドが医学の分野ではなくてはならない薬剤になったのです。でも、困ったことも起きています。オピオイドを鎮痛剤として飲むことにより、労働意欲が低下するケースがあるのです。痛みという壁は克服できても、その先に依存症という壁が現れました。この壁の克服は、依存症をターゲットにした薬剤の開発と治療方法になります。そんな中で、美しいイモガイが注目をあびています。この貝の毒は、複数の毒からなるコノトキシンと呼ばれる神経毒の一種になります。指された場合、人工呼吸や心肺蘇生術など適切な措置をとらないと呼吸困難で生命を落とすこともある危険な貝です。イモガイの毒は、神経細胞のイオンチャンネルをブロックしてしまうのです。このチャンネルがブロックされると、感覚が麻痺し、けいれんを起こし、体が動かなります。でも、この毒の鎮痛効果はすばらしいものがあります。ラットを使った実験では、コノトキシンの鎮痛効果はモルヒネの1万倍といわれています。コノトキシンは、痛覚神経を麻痺させ、モルヒネを上回る鎮痛効果が得られことが分かったわけです。このコノトキシンの注目されている理由は、アヘンのような習慣性もなく、耐性もできにくいという点です。この貝の毒であるコノトキシンは、近年ジコノチドという名の鎮痛剤として認可されました。アメリカでは、すでに進行性のガンやヘルペスに、この薬を疼痛緩和に使用しています。人類は、痛みという課題を乗り越えてきました。そして、依存症という壁も乗り越えようとしています。さらに、より簡便な音楽を聴くという方法で、痛みも依存症も乗り越える知恵を発揮しています。