人類は、長らく弱者として生存してきました。チーターのように速く走れるわけでもなく、象のように巨大なわけでもありません。キリンの様に、高い木から食物をとることも困難でした。サルのように身軽なわけでもなく、サイのように硬い皮膚で覆われてもいません。でも、弱者の人類は、生き残るために必要な身体的能力を放棄する代わりに、別のものを進化させてきました。人類は、生き残るために、体全体の20%のエネルギーを消費する脳を大きく進化させて、高い能力を獲得してきました。その高い能力を持つ脳を活用することで、言語をつくり出し、人間社会を構成したのです。人類はその高い能力を持つ脳を活用することで、道具を発明しました。もう一つ、他の動物が持っていないものに笑いがあります。たとえば、笑った後、免疫グロブリンが高まり、ナチュラルキラー細胞が活性化されることが分かっています。笑いが免疫機能を高めるということは、科学的に証明されるようになってきました。笑いという手段をマスターし、進化させたことによって人類は健康の維持増進を獲得していったのです。今回は、この笑いにある要素が加わると、毒にも薬になることを眺めてみました。
この笑いは、生まれた赤ちゃんにすでに見られます。生まれてすぐ赤ちゃんは、母親の乳首を口に含み、母乳を飲みます。母乳を飲む行動は、誰かに教えられて学習したわけではありません。赤ちゃんは、お乳を飲んで満足し、眠りに落ちいります。新生児の寝顔をじっと見ていると、ほんの1~2秒だが「ほほ笑み」を浮かべることがあります。この「新生児微笑」は学習したものではなく、生まれつき備わっている本能的なものになります。生まれたての赤ちゃんが笑うのは、誰かに反応しているわけではありません。でも、生後2~3カ月の乳児になると、外からの刺激「高い、高い」や「いないいないぱあ」などに対して笑うようになります。この他者の存在を意識した笑み(社会的笑い)は、非自発的笑いと呼ばれています。「高い、高い」などの無邪気な笑いは、大人たちを和ませます。意識した笑みは、人が社会生活を営む必要なコミュニケーションツールとして進化していきます。
人類は、笑いを芸術にまで高めてきました。芸術には、それを高めるために努力する人たちがいます。「AとかけてBと解く。その心はC」という三題噺があります。これは、お笑いの基本になるものです。当たり前のネタから、不自然さを見つけ出す訓練になります。ちがって見えるAとBに共通する要素であるCを見つける能力が求められます。これまでこの作業は、頭を絞って芸人が行ってきました。面白いと思う内容は、時代とともに変化します。笑いには、臨機応変さが必要です。同じユーモアでも、笑う人もいれば笑わない人もいます。みんなと同じ情報を材料にしながら、おもしろいことを考えつくかどうかが勝負の分かれ道になります。笑いを作るには、いくつかの段階があるようです。まず以前、評価の高かったネタを使います。これは、コモディティ化していきます。コモディティ化とは、価値の高かったものがやがて平凡なものになることです。次に、コモディティ化したものをいくつか組み合わせる段階があります。いくつか組み合わせでも、笑いを取れない場合、ここにさまざまな情報を取り入れることになります。この組み合わせと新しい情報の取り入れを上手に行う芸人が、お笑いの世界をリードしていくことになります。
笑いのビジネスは、「笑いたい」と望んでいる客だけを集めることが一つの条件になります。上野の鈴本演芸場には、笑いを求める人が集まってきます。そして、集まった人たちの群集心理の性質を巧みに利用して、通常よりも大きな笑いをつくり出しています。笑いのビジネスは、群集心理の性質を巧みに利用して、お客さんを楽しませていると言っても良いでしょう。注意しなければならないのは、この群集心理になります。人は集まると、興奮状態に陥りやすく、確な判断力が失われることがあります。思考力が落ち、個人のアイデンティティが低下し、モラルの維持が困難になるケースがでてきます。群集心理の特徴は、衝動的で動揺しやすく興奮しやすい、暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる、感情が誇張的で単純である、偏狭で横暴で保守的傾向がある、道徳水準が低いという5点にまとめられます。この群集心理の傾向は、デモ隊の暴徒化、いじめの暴走などにおいて観察されています。最近は、いじめの問題がメディアで取り上げられています。いじめが、徐々にエスカレートし悪質化していくことが報道でも指摘されるようになりました。その中核に群集心理と笑いが潜んでいるようです。
小学校3年から4年にかけて、子ども達は仲間集団を作り、集団を操作していく能力が育ってきます。集団ができると、そこに群集心理が働く要素が出てきます。衝動的で動揺しやすく興奮しやすい、暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる、感情が誇張的で単純である、偏狭で横暴で保守的傾向がある、道徳水準が低いという5つの特徴を伴う行動が起きやすくなります。子ども達に集団を操作していく能力ができてくると、いじめっ子はいじめられっ子を作る能力も出てきます。いじめには、排除するいじめと拘束するいじめがあります。仲良し集団が、孤立した子どもをいじめる光景もその一つです。また、仲良し集団の中で特定の子どもをいじめる光景もあります。初期のいじめは、モノを取ったり、隠したりすることが多くなります。次に、悪口、からかい、仲間はずれ、脅しなどにエスカレートしていくケースが増えてきます。いじめ集団には、笑いが潜んでいます。からかったりすることへの抵抗がなくなると、いじめられる子どものリスクは高まります。軽い「からかい」を繰り返すうちに、いじめる側は次第に感覚が麻痺していきます。繰り返すうちに、からかいがエスカレートしていくケースも多いのです。さらに、からかいを行っている子ども達は仲間を作り、いじめる仲間のモラルは低下しながら、結束を高めていく傾向があります。いじめる側には、「からかい」の笑いが起きて、仲間は結束していきます。でも、「いじめ」を受けている子どもは孤立をますます深めていく流れができるのです。
余談になりますが、いじめの痕跡は残るということです。2022年度の文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校調査」で、いじめとして認知された計約68万件のうち、「パソコンや携帯電話等で、ひぼう・中傷や嫌なことをされる」は2万3920件に上り、過去最多を更新しています。SNSなどでいじめをしている人たちは、安易に発信しているように見えます。発信にさいしても、衝動的で興奮しやすく、横暴でモラルの低下をともなう内容になっています。これらの中傷は、SNSの痕跡として残ります。調べようとすれば、調査代行サービスのように短時間で、そして長い時間をかければ、確実に追跡は可能になっています。しかも、過去に遡って、発信者の特定が可能になっているわけです。ネットによるいじめは、証拠が残り、事実認定を得やすいという状況が生まれています。蛇足ですが、ホリエモンの愛称で辣腕事業家と知られている堀江貴文氏は、悪意あるアカウントに厳しく対応して、金銭和解の話し合いを進めています。彼は、「現在は、誹誇中傷の投稿はブラットフォーム側での照会が可能になっており、アカウントの開示請求が認められ、訴訟も起こすことが可能になった社会である」と述べています。金銭的和解の対応は、悪意あるSNSを発信に対する強力な抑止になっているようです。
お笑いもいじめの手口も、幼稚なものから高度化する傾向があります。最近のテレビ番組で、活躍している芸人はお笑い系の人たちです。バラエティーは当然のこととして、クイズ、冒険、ドラマ、そしてワイドショーとオールラウンドにその存在感を発揮しています。笑いは、人々を引き付けます。でも、以前と少し変わってきたようにも感じます。1970年代頃まで、漫才の所要時間は10分程度でした。現在の漫才の所要時間は、なぜか5分程度にまで短縮されてきました。テレビ局は、短い時間でより多くの笑いをとれる生産性の高い芸人を集め番組を制作する傾向を強めています。笑いを取れる芸人を、次々と登用することになります。若手は新しいネタをつくり続けなければ、次の活躍の場は失われます。いじめる側にも、このような流れがあるようです。いじめる側に立った子ども達は、新しいネタ(からかいや揶揄、噂話など)を常に考えなければならない状況に追い込まれていきます。ネタがなくなれば、次の暴力や金銭強要という形でのいじめになっていきます。群集心理に支配された子ども達のグループは、このことになかなか気が付きません。教師や保護者、そしてモラルを持っている子ども達の支援があれば、いじめる側の子ども達の行動が抑止されていきます。抑止効果が働いて、健康な笑いが支配するクラスになればハッピーになれます。
最後になりますが、カナダやアメリカでは、男の子がピンクの服を着ていると、いじめが起きます。男性がピンクの服を着ていると「ゲイだな」「ピンクかよ」と、いじめられる光景がでてきます。カナダの中学校で、ピンクのシャツを着て登校した男の子がいじめ集団にいじめを受けました。いじめを見た他のグループは、ユーモアのある行動を取りました。単に、いじめのグループに「いじめはやめろ」という以上のことをしてのけたのです。いじめの集団以外の全校生徒にSNSで連絡し、ピンクの衣類や身にまとうものを用意するように伝えたのです。翌日のキャンパスはピング一色になり、そうでないのはいじめの集団だけになったのです。いじめの集団は、これには黙るしかありませんでした。以来、このキャンパスではいじめがなくなり、ずっと平和が維持されているということです。