新生児の舌に砂糖水を垂らしてやると、嬉しそうな表情をします。新生児に苦味の物質を舐めさせれば、しかめ面をします。新生児の砂糖水の反応は学習ではなく、遺伝的にプログラムされたものであることを示しています。甘いものは、脳内のドーパミン報酬回路を刺激し幸せな気分にしてくれるものです。遺伝にもとづくものを変えることは、なかなか難しいものがあります。この甘味に対する欲求が、肥満という問題を引き起こしています。経済が成熟している国々での課題は、肥満をいかに減らすかということになります。
もっとも、わが子を肥満にしにくい体質にする方法があります。これは、無菌状態の妊娠マウスに食物繊維を多く与えたえる実験からのアイデアになります。妊娠したマウスを、2グループに分けます。一方のグループには、食物繊維の少ないエサ与えて飼育します。もう一方には、食物繊維の多いエサを与えて飼育したのです。この2つのグループから生まれた子どものマウスを高脂肪食で飼育しました。食物繊維の多いエサを与えた母親マウスの腸内では、短鎖脂肪酸という物質が多く作られていました。食物繊維の多いエサをとっていた母親から生まれたマウスは、明らかに肥満が抑えられるという結果が出たのです。一方、食物繊維の少ないエサを与えた母親から生まれたマウスは、成長するにつれて肥満になっていったのです。子どもの成長の仕方や将来の体形に、母親の腸内細菌が関与することが分かりました。ネズミの子の肥満抑制のキーワードは、母体の腸内細菌が作る短鎖脂肪酸ということでした。人間の子どもにおいても、食物繊維の多い食材を使うことが、わが子を肥満にしないことに繋がることを示唆しています。このような理性による肥満防止対策を、個人も、家族も、企業も、そして国家も考えるようになりつつあります。
一方、理性だけでは解決できない情況もあまります。私たちを取り巻く社会には、多くの「依存症」が存在します。大リーグの有名選手の通訳の方が、ギャンブル依存症になっていたことが明らかになりました。個人の依存症が、多くの方に迷惑をかけることになっています。依存症には、ギャンブル、買い物、ゲームの行動をやめられなくなるなどの「プロセス依存」があります。そして、薬物、ニコチンなどのモノをやめもれなくなる「物質依存」があります。肥満に象徴される糖質依存も、物質依存になります。それも、世界最大の依存症といえるものです。糖質依存を治すためには、「べき」とか「ねばならない」といった建前論だけでは治すことができません。血糖値が上がると人は一瞬,スカッとしたいい気持ちになります。このいい気持ちの最高点を「至福点」といいます。至福点を目的にしてつくられた食品は、一時的に幸せな気分にしてくれます。至福点まで血糖値が上昇する食品をつくれば、「もっと、もっと」と買ってもらえるかもしれません。でも、最近の炭酸飲料の消費量を見ると、無糖の飲料水が伸びています。消費者の行動様式が、糖質に対する理性が欲求を抑えるようになっているのかもしれません。
企業の努力にも、見逃せないものがあります。その企業の一つに、米スタートアップのビヨンド・ミートがあります。この会社は、カリフォルニア州に本部を置く植物由来の人工肉の製造と開発をする米国の食品テクノロジー企業です。植物肉は、環境問題などへの関心が高い欧米の若者を中心に支持が出てきているのです。この肉は普通の肉に比べカロリーが低く、環境負荷も少ないとして需要が伸びています。植物肉は、環境に優しいとされ、動物由来の肉の消費を抑える存在になりつつあります。2013年より、この植物肉は米国を中心にカナダとイギリスを含めて、合計270店舗で販売されてきました。ビヨンド社の2020年4~6月期の売上高は、約120億円と前年同期比69%も増えたのです。ビヨンドのコンセプトは肉食の人にベジタリアンの「肉」を提供するというものです。この起業は、1兆2000億ドル規模の食肉産業を根底から覆すというミッションを掲げました。牛などの家畜は、世界の炭素排出量の約14%を占めています。ステーキを愛する人の多くは、環境に良いことをしたいと性善説の人々だと考えたようです。ビヨンドは、二酸化炭素排出削減に敏感な肉食の人を対象にしようとしました。肉食の人を植物肉が環境に良いという選択肢へ誘い込み、巨大な新市場を創出することを期待しました。もちろん、ベジタリアンの「肉」を提供するというコンセプトも、十分に説得力があるようにみえました。
ビヨンドは、ハイテク系デイスラプター(創造的破壊)としてスタートしたわけです。でも、二酸化炭素排出削減に敏感な肉食の人をターゲットにずる試みは見事に失敗したのです。ビヨンドは、食品大手との競争激化やインフレで需要は伸び悩み、株価は低迷しました。値下げを余儀なくされ、そのために成長戦略は完全に崩れたのです。2023年2月28日には、「不振の米ビヨンド・ミート、変わった大前提」などの記事が掲載されています。ビヨンドは、1ポンドあたりの売上高は2021年の5.5ドルから2022年には4.9ドルに減少しました。でも、2024年になり、株価が急速に回復しました。2024年2月29日には、株価が前年の6割以上も値上がりしています。でも、この株の値上がりが、植物肉の普及が拡大していることを意味しません。米国での植物性食肉分野は、消費支出の抑制と販売低迷で依然として厳しい状況が続いています。ビヨンドは、この新しい現実に身の丈にあったように適応したということなのです。コスト削減、資金流出の阻止、そしてニッチ市場の消費者ブランドとしての足場を固めたというわけです。経営の安定を重視し、会社が掲げたハイテク系デイスラプターの大前提を変えました。ビヨンドの株価評価は、ハイテク成長企業ではなく、会社の安定性を評価したものになりました。人間の糖に対する欲求は、かなり強固なものがあるようです。ビヨンドの大きな目標は変更されましたが、会社を安定させたうえで、肥満になりにくい食材の開発をしてほしいものです。
理性が、本能に勝つ工夫の一つに禁煙に成功した事例があります。喫煙は、糖質依存と同じように、理性だけでは止めることが難しいとされるものです。この困難な課題に、Aさんは挑戦しました。彼は、十年前から一日一箱程度、タバコを吸っていました。ニコチンを摂取することの反復を繰り返すことで、本能がタバコを吸うことに快感を体験する「生理的報酬」が定着した状態にありました。この状況になると、条件反射のベルと同じように、タバコを手にして、吸う直前には、ドーパミンが分泌する状態になります。たばこ依存症の方に定着していたパターンは、タバコを手にして、タバコに火をつけて吸うと、脳にニコチンを通してドーパミンという生理的報酬を与える流れることになります。対策は、その流れにメスをいれることになります。メスの入れ方は、タバコを手にしても、吸うという行動をおこなおうとしても、ドーパミンという生理的報酬が出ない仕組みを作ることでした。この仕組みは、1日20回、理性の主導でタバコを吸う真似を行うことだったのです。理性の力で、タバコを吸う真似をすることを1回します。その後の20分間だけを我慢するのです。吸う真似だけでは、脳に「生理的報酬」が生じません。この吸う真似では「生理的報酬」は生じていないことを、20回も反復させるわけです。この真似を始めて10日後には、Aさんのタバコへの欲求はほぼ完全になくなったということです。ウソのような本当のお話になります。糖質依存においても、このような手法が考案されるかもしれません。
最後になりますが、悪い癖や習癖を治す治療法は、これから次々と出てきます。良い生活を希望するのであれば、食事は一定の栄養を満たし、なおかつ楽しい食事が理想になります。もちろん、運動も一定の量を確保しながら、楽しいものにしたいものです。そして、睡眠は、疲れを取ることはもちろん、成長ホルモンを多量に分泌するような深い睡眠できれば、次の活力が生れます。さらに、運動や食事の部分最適ではなく、生活の満足という全体最適を実現できれば、望外の幸せの領域に入ります。自分にあった処方を見つけて、楽しい生活を送りたいものです。この楽しい生活を送るためには、知恵と理性が求められるようです。知識を武器にすれば、糖質中毒は改善に向かうというわけです。良い食べ方の知識があれば、肥満を防げます。血糖値を急に上げることが、肥満の原因になります。同じメニューの定食を完食するにしても、その食べ方によって、糖での中毒や肥満を遠ざけることができます。知識があれば、前もって食物繊維の野菜や消化に時間がかかるタンパク質を食べると良いことがわかります。食物繊維の野菜を食べるとブドウ糖の吸収はゆっくりとなり、血糖値が急にアップすることはありません。同じパンなら食パンよりもバターを練り込んでつくられるクロワッサンのほうが良いということになります。具がたくさんあるサンドイツチなら、さらに良い食べモノになります。また、環境を変える方法も有効です。できるだけ、糖質を行動が取りにくい環境に身を置くわけです。帰宅ルートを変えて、コンビニの前を通らないようにするなどの行動がお勧めになります。自分に合った生活パターンを工夫することも、面白いかもしれません。