以前は、お葬式の話をすると「縁起でもない」と嫌な顔をされたものです。でも、時代は変わったようです。お葬式の話が、喜ぶ話題になっているのです。日本人は、毎年130万人以上の方が亡くなります。2023年は、156万人を超えました。周りの高齢者が亡くなるにも関わらず、生きてお葬式の話ができることに喜びを感じるようです。自分の頭と体が無事なうちに、お葬式を決められることに喜びがあるようです。お葬式の話の中にある喜びは、無事な時間があること、考えるだけの時間が残っていることになるようです。今のシニアにとって、壇の形式や着せて欲しい死装束などを自分で選んでおことは、珍しくはないようです。一般にシニアと言われる65歳以上の一人暮らしの者の割合は、男女共に増加傾向にあります。1980年には男性4.3%、女性11.2%でしたが、2020年には男性15.0%、女性22.1%となっています。このシニアが長く一人暮らしを続け、地縁・血縁など社会の接点からはずれることが、「無縁化」といわれています。「無縁化」した人が、死後、かなりの日数が経ってから発見されるのが「孤立死」になります。高齢単身者が無縁化せず、看取られずに亡くなり、すぐに発見される状況が「孤独死」になります。人はそもそもひとりですから、「孤立死」も「孤独死」も恐れることはないようです。そして、長い歴史を見れば、「孤立死」も「孤独死」も、日常の生活の中に見られた現象のようです。今回は、お葬式の在り方や今後の死生観について考えてみました。
配偶者が亡くなったときに、相手方は精神的に落ち込むことが分かっています。この落ち込みは、あらゆる落ち込みの中で最大級のものです。精神的に崩壊する方もでてきています。いわゆる、うつ状態になるケースもでてくるわけです。もちろん、このような精神状態を跳ね返す人物も少なくありません。私の知人には、一つの言いぐさがありました。「もし老いて死を迎えるという時は、できるだけ家にいますよ。あと1週間くらいしか、もたないのではないかとなったら、病院に入れてもらうのです」と話していました。そして、その通りやってのけたのです。最後の1週間はかなり痛みに耐えなければならなかったようです。でも、入院して痛みを取る治療をしてもらい、1週間後になくなりました。家族には、最小限の看護だけで済ませていたようです。お墓や葬式のことなどを、きれいに生前処理をしていたことには感心したものです。元気なうちに、家族の意思決定が難しいことを処理しておくことが、家族に迷惑をかけないことだと言っていました。食事ができなくなったら、それが寿命だと割り切り、穏やかな死を迎えることだとも言っていました。彼は、亡くなる数週間前まで、家の中で歩く運動を続けていたのです。
現代では、亡くなれば、火葬に付され、骨壺に入れられて、お墓に埋葬されることが一般的です。この火葬自体は、4~7世紀ごろに集団で渡来した渡来系の人々により行われていたことが、遺跡発掘などから分かっています。でも、この火葬は裕福な人々しかできないことでもあったのです。平安時代では、高い位の貴族にできた葬送儀礼になっていたようです。多量の燃料を必要とする火葬は、貴族だからこそできたということです。古代一鎌倉時代頃まで、都市に流入してきた庶民や貧民の亡骸は基本的に放置でした。町中に放置していたのですが、徐々に、死体の置き場所は葬送地として洛外の東山西麓・鳥辺野、西方の化野、鴨川の河原(町中でも河原は域外とされていた)が定着してきました。鴨川の河原は町中にありましたが、河原は域外とされていたのです。「餓鬼草紙」には、枢に蓋がされていないので犬に食いつかれている描写もあるようです。死んだものは縁者によって河原や山野に運ばれ、置いたままにされていました。運ばれたあとに死体がどうなるかは、葬る側はあまり気にかけなかったようです。もっとも、洛外まで運ばれる場合はまだ良い扱いになります。縁者のない人は、町中の道路や空き地に放棄されていたのです。そんな時代からみれば、現代の「孤立死」や「孤独死」が、なぜ問題になるのか不思議なことかもしれません。
現在の仏教式の葬儀の原型になったのは、禅宗の葬儀形式になります。葬儀の原型は鎌倉時代に興り、室町時代に大きな影響を持つようになった禅宗により形式が整っていきます。禅宗には、2つの葬儀形式がありました。1つは、出家した僧侶のための葬儀形式です。もう一つは、修行の途上で亡くなってしまった人のための葬儀形式があったのです。修行の途上の形式に浄土教の念仏などが加わり、在家一般の葬儀のあり方につながってきています。余談ですが、世界の宗教にも、いろいろな葬儀形式があります。インドのヒンドゥー教には、天上界から発するガンジス川の聖なる水で沐浴すれば罪は清められとする強い思想があります。死後、遺灰をガンジス川に流せば魂は天上に赴くとされているのです。遺灰を川に流されることは、ヒンドゥー教徒にとって至福の願いでもあります。彼らは、遺灰そのものには執着をもたず、墓も墓参りも行いません。キリスト教は、宗教上の復活思想ために土葬を希望する人々が多いのです。1963年、ローマ法王庁が火葬しても復活に支障がないと宣言しました。でも、長い間にわたって持ち続けてき習慣は、一朝一夕には変えられないようです。カトリック国は、復活の妨げになるという考えが火葬に踏み切らせないようです。イタリアは、いまだに20%に満たない火葬率です。この国の墓地を見ると、整然と十字架式の墓碑が並んでいます。でも、これらの共同墓地の遺骨は、10年で納骨堂に改葬されます。イタリアは10年後に掘り返し、小さな棺に入れ替え埋葬します。元の墓には、10年後に他の棺が納められて、墓地のリサイクルが行われる仕組みができています。墓地が、増え続けることのない配慮がされているのです。世界の葬送儀礼を見ていくと、いろいろな思想と行動様式があることがわかります。その葬送儀礼にも、変化の兆しと問題点が出てきているようです。
自家の檀那寺を持つことは、徳川幕府以前から始まっていました。宗門人別帳(戸籍)に登録することが義務づけられるようになったのは、島原の乱以降になります。各寺院の宗門人別帳(戸籍) に登録することが、義務づけられるようになります。寺院が、キリスト教徒でないとことを保証したわけです。江戸時代以降、出生・死亡結婚等は、すべてがお寺さんによって、管理されることになりました。檀家制度が始まり、堂塔の修理などに対するお布施、葬儀形式、お墓の管理などが現代も続くことになります。檀家制度が続く中で、農民や町民であっても裕福な家は、立派な葬列を出すにようになります。でも、近代の息吹を感じる明治の時代に変化が起きます。キリスト教が解禁されることや欧米の思想が入ってきます。そのような中で、新しい芽が芽生えます。自由党の創設に参画し、思想家の中江兆民は、口頭ガンで余命宣告されました。彼は、口頭ガンで余命宣告されたのち、「無神無霊魂」の説を発表しました。中江兆民は、自分の弔いは「火葬のみ」と主張したのです。その主張に、仏教の葬儀形式に慣れた家族が驚きます。兆民の家族は困って、友人の板垣退助らに相談しました。板垣の説得にも、兆民は持論を貫きたいと意思強固でした。そこで、妥協案として、宗教儀礼を抜いた「告別式」を採用したのです。兆民の告別式が今も行われている「告別式」の最初の例だということです。
「焼くだけ」の直葬は、もともと身元不明の死亡者のために行政がとっていた措置であり、生活困窮者のために行政がとっていた措置でした。この直葬が、一般の人々にも普及し始めているのです。「直葬」は、家族や親戚だけで葬儀をする「密葬」=「家族葬」がさらにすすんだ形になります。「直葬」は、一般の会葬者をお断りして家族や親戚だけで葬磯をする「「家族葬」の進化型というわけです。「直葬」は遺体を自宅(または斎場)に運んで一晩過ごします。翌日の葬儀なしで火葬場へいき、そのままお別れをするという形が一般的です。現在の葬儀は、家族葬が55.7%、一般葬が25.9%、直葬・火葬式が11.4%という割合になります。直葬の割合は、現在1割強ですが、東京に限れば2~3割と推測されています。さらに、特別養護老人ホームなどの施設に長年過ごされて、亡くなった高齢者の場合は、5割に近い数字になります。
最後になりますが、156万人という死亡者の増加で、火葬までの待ち時間が長くなるケースが増えています。家庭に安置されるご遺体が、長くなっているようです。ドライアイスで冷やすだけでは、ご遺体を維持できない事例もあります。ある葬儀では、ミイラ化の技術をとりいれて、ご遺体を維持した例もあったようです。日本全国には、4,000の斎場があります。でも、実際に稼動している斎場は、1,500程度といわれています。日本の葬儀は、もともと土葬が一般的でした。それが戦後、高度成長期に一斉に火葬に変わったのです。高度成長期に建設された火葬施設も老巧化し、全国には、使われていない斎場が2,500箇所もあるわけです。老巧化した施設、稼働率の悪い火葬施設、そして増え続ける死亡者という循環が、火葬を待つご遺体を増やす状況を作り出しています。そこで、全国にある斎場の再利用と無理なく死者の冥福を祈る仕組みを考えてみました。高度成長に建てられた斎場の建て替えが、始まっています。この斎場を単独の市町村で運営するのではなく、広域の市町村が合同で運営する方式に切り替えていくのです。建設費と職員を節約し、集中管理をします。斎場の近くに、ご遺体を冷凍安置できるステキなマンションを併置しておきます。死亡者が多くなっても、対応できる施設を準備しておくわけです。新しい斎場は、遺族の都合の良い日に火葬ができるようにします。お葬式の流れを標準化し、ボトルネックを作らないようにする仕組みを作るわけです。斎場の都合やお寺の都合、業者の都合、そして遺族の都合をマッチングできるお葬式が可能になります。ご遺族の都合の良い日に、多くの人が冥福を祈る施設を作っていきたいものです。