伝統的教育は、知識の量が重視されてきました。いわゆる知識伝達型の教育が、主流を占めてきたわけです。ところが、徐々に課題解決を重視する課題解決型の教育が主流になり始めています。インドの詰込み教育は、有名です。でも、インドの場合、詰め込み型教育とはいえ、授業での質疑応答も活発に展開されています。インドの学生は、教師との応答により、詰め込んだ情報を咀嚼し、応用力を高めていくことができるのです。教えられた内容を鵜のみにするのではなく、教師との応答を十二分に行いながら咀嚼していく過程があります。インド人は対話力に優れ、何かしらの反応を返さずにはいられないところがあるようです。日本では、前に進めることに汲々として、質疑応答に時間を割くことなく終える傾向があります。学生のほうも、積極的に質問することはないようです。伝統教育を行いながらも、現在の課題を解決する方向で授業が行われているインドの適応力に感心したものです。伝統的教育では、頭の中に知識を叩き込むことが重視された時代でした。現在は、教師との応答により、詰め込んだ内容を岨瞬し、応用力を高め、課題解決の能力を高める時代になったようです。今回は、伝統教育の良さを踏まえて、新しい教育が目指す課題解決の流れを探ってみました。
一時期、覚えるためにわざわざ頭を使う必要がなくなったといわれました。でも、見方が少し変わりました。新しいアイデアを発想するためには、頭の内部情報との照合が必要になります。頭の内部情報をたくさん持っている人ほど、照合をスムーズに行うことができます。そして、課題解決のための発想がたくさんできるわけです。もともとの知識がない場合は、「ひらめき」とかアイデアが出てくることはありません。頭の中で処理される情報が多ければ多いほど、組み合わせは多くなります。課題解決に役立つ情報が多ければ多いほど、課題を解決する組み合わせが多くなるわけです。頭に多くの情報をインプットすること、いわゆる記憶のやり方や役割が見直されているのです。古くからある歌を使った暗記法は、「もしもしかめよーかめさんよー」があります。この歌の歌詞を、「いくやまいまいーおやいかさ一」と歌うのです。これは、何かたくさんのことを順番に覚えなければならないときに使われます。「いくやまいまい」は、伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、伊藤博文、松方正義、伊藤博文という明治の首相交代を示すものです。最近は、マンガが、簡単に全体を把握することに使われます。全体を把握すると暗記する範囲が分かるために、記憶量が容易に高まると言われています。全体を把握して、必要な部分を記憶すれば、効率的になるという趣旨のようです。暗記したいと思ったジャンルを、マンガで暗記のイメージづくりを行うと効果的ということです。一定の記憶学習は、必要ということになります。
いつの時代でも、重視されてきたものに読書があります。高い学力を持つ子は、例外なく小さい頃からたくさんの本を読んでいます。全アメリカの上位高校の多くは、能力の高いユダヤ系の子が占めています。彼らは、子どものころから読書を楽しんでいます。麻布、開成、武蔵など有名私立校は、入試問題で読書する子かどうかでふるいにかけています。子どもの頭脳を順調に発達させるには、幼い頃から本に親しませたほうが良いことを世界の知性は理解しているようです。いったん本を読み始めれば、好奇心はどんどん旺盛になっていきます。本を「なぜ?」「どうして?」と考えながら読めば、それだけ考える力が磨かれるようです。アウトプットを意識すると、より上質な読書ができます。インプットしながら、誰かに情報を発信することは、自分の中で知識を整理することにもなります。よく算数の問題がわからない仲間に、やり方を教える子どもは伸びると言われていました。これも、インプットとアウトプットの関連を理解すれば、納得のいく事例になります。課題を取り上げて書くときは、そこに新たな解決策が見出されるケースも増えてきます。もっとも、ひねり出すという要素も強いのです。ひねり出される解決策がでてくれば、楽しいものです。
読まない人には、書く神様はやってこないと言います。本を読めば、新しい知識が次々に入ってきます。これは、楽しい時間になります。でも、矛盾も出てきます。たとえば、資本主義は、貧困者を増やし、不平等を拡大しているという説明があります。社会主義は、貧困の撲滅と平等を目指しているという主張もあります。ある面で、どちらも正しいことなのでしょう。よく見ると、社会主義にも貧困者と富裕層がいます。決して、平等な社会ともいえないわけです。こんな違いにぶつかると、考えてしまいます。この考えを自分の言葉で表現することから、書くことが始まります。どんなすばらしい考えも、書きとめておかないと、忘れて取り返しのつかないことになります。書いている時に、随時、情報が手元にあれば、円滑な作業が成立します。でも、情報が揃っていない時に、文章を書いていると、情報を探しては、再度もとに戻って書き直すという非効率な作業になります。また、情報の確認に時間がとられることも、マイナス要因になります。本や新聞などのアナログ情報は、情報を絞り込んだ編集者がおりフィルターを通過した情報になります。これが、手元にあれば、すぐに文章作成に使えるものになります。インターネットなどの情報は、フィルターのない野放しの情報で正誤の判断に時間が必要になります。すべて記憶することは、難しいことです。そんな場合、すべて覚えておくよりも、必要な時に、必要な情報を取り出せるツールを持つことです。探すことに、エネルギーを取られない作業環境を整えておくことも、物書きには必要なスキルになります。読んで書くことが趣味の一部になると、達成感を求めるようになります。自分勝手な文章でも良いのですが、少し世の中の課題解決に挑戦しようと思う場合もあります。それは、いわゆる世の中に役立つアイデアというものです。
アイデアを生み出すことは、知的作業の中核になります。新しいアイデアを生み出すことが、あらゆる分野で重要な課題になってきました。アイデアも単なるアイデアではなく、問題解決を目指したものが評価されています。「アイデアを出す能力」と、「アイデアを出し続ける能力」は、どちらも重要になります。この二つのことを簡単に実行できる仕組みをつくり出すことが、課題解決を重視する社会では評価されます。アイデア作成には、一連の過程があります。まず、記憶した知識、読書によるストーリー、今までの経験など自分の側頭葉に蓄積したものがあります。さらに、課題を解決するために、課題に関する情報をできるかぎり収集します。この時に、本や新聞と接する量の多いとか少ないとかによって、情報の格差が生じることがあります。次に、自分の蓄積した知識と収集したデータの組み合わせで、徹底的に考えに考えます。次が難しいのですが、いったん考えたことを忘れて、潜在意識にデータの組み合わせをまかせることになります。いわゆる「寝かせる」とか「熟成させる」という期間を準備することになります。この期間が、どれくらいになるかは、なかなか難しいのです。でも、この作業をする人には、必ずアイデアが湧いてきます。
ここからは、寝かせたアイデアを取り出す具体策になります。新しいアイデアは、頭の中にあるさまざまな考えと課題に関する情報の組み合わせから作り出されます。このアイデアは、考え続けることによってしか出てきません。アイデアを出し続ける方を観察すると、いろいろな方がいることが分かります。たとえば、散歩を習慣にする方に、アイデア出し続ける方が多いことが分かっています。これは、散歩以前に課題を解決するために情報を頭にインプットする作業があって初めて、成り立つ現象になります。情報のインプットがなければ、アイデアのアウトプットは起こりません。このアイデアのアウトプットの現象は、お風呂やトイレ、車の中などで見られますが、大事な点は、情報のインプットになります。ある方は、コーヒータイムの時にアイデアが出ると言います。これを注意深く見ていくと、面白いことが分かります。コーヒーのカフェインは、睡眠物質であるアデノシンを抑制する作用があります。コーヒーは、脳内物質を抑制し覚醒効果と集中力を高める効果があるわけです。社内のコーヒータイム(課題解決に集中している緊張状態の時)に、仲間との何気ない会話(課題解決のヒントに触れる瞬間)に、コーヒーの覚醒効果と集中力が、相乗的に反応し、アイデアが生まれるという現象が生じることもあるわけです。散歩をしている時とか、お風呂に入っているときに、仲間との会話のときに、ふとアイデアが顔を出してきます。この瞬間を捕まえないと、アイデアに逃げられてしまうことを、アイデアマンは経験済みでしょう。ふと湧き出たアイデアを捕まえることも、スキルの一つになります。
最後になりますが、インプット中心の読書も楽しいものです。一方、アウトプットとしての書き物も良いものです。世界の教育の流れは、インプット重視からアウトプットへ転換しているようです。インプットからアウトプットへ転換が、情報産業社会における流れになっています。社会には、刈り取り社長と種まき社長の2種類がいるようです。種まき社長は、将来のために種を蒔き続ける経営者のことです。種まき社長は、知識を蓄える知識伝達型に似ています。刈り取る社長は、現在の果実をもぎ取る人になります。これは、課題解決型になるようです。結論からいうと、この2つのビジネスを同時にやらなければ、企業の成功はないようです。知識をインプットし、課題解決のためのアウトプットをすることが求められているのです。現在は、これを継続的に行うことのできる人材が求められているともいえます。