野生動物をジビエとして有効活用する知恵  アイデア広場 その1566

 山間部の人口減少や温暖化による降雪量の減少で、イノシシなどの野生動物の生息域が広がっています。秋の気配を感じ始める頃、クヌギやアベマキの木がドングリを落とすようになります。この落ちたドングリを求め 、イノシシが出没するようになります。もっとも、山に多くドングリなどの食べ物があれば、安全な山に住むことになります。秋はイノシシが冬に備えて、ドングリなどの高栄養の食べ物を確保し、体に脂肪を蓄積させる時期になります。最近は、暖冬が続いています。積雪が苦手なイノシシには好都合であり、北に生息地を拡げているのです。そのために、今までイノシシの害のなかった東北地方にも被害が出るようになってきました。この動物は雪に弱く、積雪30cm以上で積雪期間が70日以上になると生息が困難になります。特に、子どもは寒さに弱く、寒さと餌の多寡により、生息数が制限されます。これまでイノシシが生息していなかった地域に進出してきた場合、この地域は適切な対策が取れないことが多いようです。この対策に果敢に挑戦する自治体が現れました。宮城県大崎市は、イノシシなどを駆除し、その肉をジビエとして商品化することに動き出しました。大崎市内では、2016年度まで、ほとんど捕獲例がありませんでした。それが、2019年度に278頭に急増、2020年度は690頭と2倍以上に増え、さらに2023年度には881頭まで増えているのです。

 コメの主要産地として知られる宮城県では、イノシシによる被害が目立つようになりました。大崎市も、その例にもれず、イノシシの被害に悩まされるようになりました。そこで、厄介者だったイノシシを地域の資源として活用することになりました。イノシシによる農産物の被害への対策、およびジビエの消費拡大の「一石二鳥」」をねらうことになったわけです。大崎市は、東北地方で初のイノシシ専用の加工施設を整備しました。この食肉加工施設は、廃校になった小学校を改築して2024年に開業しています。この加工施設では、イノシシがクレーンにつるされ、皮を剥いで内臓を摘出、体をビニールで包んでいく工程が完備されています。スライスやミンチに使う機械も完備し、商品化までー貫作業ができます。ロース、切り落とし、ひき肉はむろんのこと、フランクフルトも独自に開発しています。「ジビエの郷おおさき」の今野淳さんは、「全個体を検査し、衛生管理も徹底している」と胸を張ります。豚熱や放射性物質の検査を経て部位ごとに分けて、真空包装してから冷蔵庫に保存しています。この施設で加工されたジビエは、「大崎ジビエ」と称して大崎市内の道の駅で販売しています。問題は、捕獲頭数と猟師の不足になるようです。食肉加工施設の採算ラインは、年間500頭を処理する必要があります。現在、500頭に対して24年度に持ち込まれたイノシシは144頭にとどまっています。ジビエの高付加価値化による販路拡大でハンターの所得増をはかり、安定供給を確立することが課題になっているようです。

 一般的にいえば、最高級のブランド牛でも精肉したばかりのものは美味しくありません。エイジングとよばれる熟成の工程を経て、初めてブランド牛にふさわしい味わいになります。エイジングの間に、肉に含まれるタンパク質分解酵素が肉の線維がゆっくりと分解していきます。分解を経て肉質が柔らかくなり、アミノ酸が遊離するために、肉の旨味が引き出されるわけです。野外で捕獲されるイノシシの肉は、エイジングすることが困難でした。野外で仕留めてから、1時間ほどのうちに血抜きをしないと、どうしても臭いが残ってしまうのです。最近はイノシシの捕獲現場で、食肉処理ができる移動車両が活躍しています。以前は困難だった処理や加工が、移動車の出現によって、市場にすぐに出せるまでになってきました。熟練者が捕獲し処理すれば、良い肉ができる環境が整いつつあるわけです。さらに、厚生労働省のガイドラインから、面白い工夫がされるようになりました。シカやイノシシなどのジビエ肉の流通を管理するクラウドシステムが開発されたのです。このジビエクラウドシステムは、イノシシやシカの捕獲や加工の日時、捕獲者、処理の状況、加工工場名をクラウドで管理するというものです。QRコードを作成して、製品に貼って流通させ、トレーサビリティー(生産履歴の追跡)体制を整え、消費者に安全安心をアピールできます。ジビエのトレーサビリティーを整えることで、情報の共有が可能になります。

 野生動物の被害が、問題になっています。一方で、人間による間違いが、特定外来生物を繁殖させてしまったという問題も起きています。千葉県などでは、シカ科の特定外来生物「キョン」が農産物に被害を与えています。この「キョン」は、「ギャー」という特徴的な鳴き声も嫌われていますが、野菜や花を中心に食害も引き起こしています。特定外来生物に指定されているキョンは、千葉県県勝浦市のレジャー施設から逃げ出したシカ科の動物です。レジャー施設から逃げ出し、1980年代までに房総半島南部に定着したようです。キョンによる千葉県の農作物への被害額は、イノシシの6%程度にとどまっています。でも、隣接する茨城県でもキョンの目撃情報が出始めています。ハンターの高齢化などを背景に、捕獲を上回るペースで繁殖が進んでいるのです。猟師の不足により、駆除を増やす見通しが立たないままでは、被害が広がるのは避けられない状況にあります。ただ、このキョンの肉は、イノシシやシカの3倍程度になります。そこに、「一条の光」が見出されています。

 このキョンは、台湾などで高級食材として珍重されています。キョンを高級食材として、東京都内のレストランなどへの販路拡大を目指す動きもあります。台湾などでは高級食材として普及しており、新たな昧覚としての潜在力は高いとみられています。キョンの駆除を進めると同時に、キョンの肉を食肉に加工する解体所を猟師が開設する動きが千葉県にあります。一方で、イノシシなどに比べて低い報奨金の額などを背景に、捕獲を上回るペースで繁殖が進む状況もあります。千葉県鴨川市の猟師、苅込太郎さんは4月上旬の早朝に仲間から連絡を受けました。苅込さんは、捕獲後の血抜きなどの処理技術に定評がある方です。彼は現場に急行してキョンに血抜きの処理を施し、2024年12月に自ら開いた解体所に運び込みました。苅込さんは猟師として10年以上の経験を持つ、ベテランです。「キョンの食材としての認識が広がれば、もっと猟師が生まれるはずだ」と話しています。野生動物の駆除拡大の切り札は、ジビエとしての付加価値の高まりと猟師の増加になるようです。ジビエの価格が高騰すれば、猟師の生活が安定します。安心して、猟に従事することができるようになります。

 余談になりますが、IT関係の本業を続けながら、猟師という副業で、地域に貢献するケースのお話しです。近年、家賃や生活費を抑えられる地方の生活を選択する人も増えてきました。ネット環境が整い、必要な生活物資や仕事関係のツールも、通販で容易に手に入るようになりました。IT (情報技術)エンジニアの山本暁子さん(42)の仕事場は、鳥取市内の自宅リビングになります。ご夫婦でUターンし、在宅でソフトウェアのプログラミングなどの仕事を行っています。山本さんのもう一つの顔は、地元猟友会に所属する猟師になります。彼女は、シカやイノシシなど年間100頭前後を捕獲する凄腕の猟師なのです。午前中は、ワナの設置や見回りなどにあて、午後は在宅ワークという生活です。ITの仕事に必要なネット環境も整っていたので、仕事や生活に支障のない鳥取に夫婦で2018年に移住したそうです。彼女の猟師になる動機は、美味しいイノシシの肉にあったようです。集落の集まりに参加し、そこで振る舞われたイノシシ肉の味わいが、一つの理由になりました。もう一つは、移住後に手掛けたかぼちゃ畑がイノシシに食い荒らされたことでした。猟師になるつもりはなかったのですが、獣害を目の当たりにして考えが変わりました。美味しさと悔しさが、猟師を志した理由になったのかもしれません。在宅勤務という有利な立場を使って、ワナや銃の免許を獲り、有害鳥獣捕獲の資格を獲得していったわけです。彼女のような猟師が増えれば、野生動物に捕獲圧をかけて、野生動物の数を抑制し、野生動物と人間社会の共生も可能になるかもしれません。

 最後になりますが、日本では、過去1~3世紀ほど野生動物の被害がそれほど多くない状態で農林業が営まれてきました。明治時代以降、野生動物は乱獲状態にあり、生息数は著しく減少しました。その分布も、限られていたのです。たとえば、対馬藩は1700年から1709年をかけて、対馬全域の8万余頭のイノシシを全滅させました。さらに、1890年ごろまで、日本の農家には150万挺火縄銃があり、イノシシ猟に使われていたのです。この動物の捕獲数は、1950年半ばまでは3万頭でした。その後は8万頭になり、1990年ごろには10万頭を超えて、令和になるとイノシシの捕獲数は令和になり50万頭になっているのです。この増える時期、日本の野生動物には天敵がいない情況でした。いるとすれば、野生動物の天敵は、50万人とも言われた狩猟免許を持った人たちでした。その狩猟者が極端に減少し、野生動物の楽園を実現してきたわけです。でも、ここに来て人間側の反撃は始まりました。大日本猟友会の会員数は、2015年度から37年ぶりに増加に転じてきています。さらに、この猟友会員は、強力な武器を使用することになります。高性能の猟銃、能力の高い猟犬、トランシーバー、ワイヤー式の罠などの猟に必要な機器が、充実してきました。さらに、道路網の発達や発信器の利用により、ワナを大量に設置することが可能になりました。ある面で、自動的にイノシシを捕獲する仕組みを作り上げています。これから、人間側の反撃が始まると考えてもよいのかもしれません。

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