日本経済が、停滞してから久しいと言われるようになりました。日本社会は、効率やスピードが求められ、成果を強く要求されるようになりました。でも、停滞した状態が続いているようです。日本の社会は一人ひとりの独自性よりも、周囲のみんなに同調することを求められました。集団から逸脱する行動に、制約が掛かっていたとも言えます。アブラゼミはすべて自分の体内の遺伝子情報に導かれ、成虫になります。遺伝子情報に基づいて行動しています。遺伝子情報だけでは、環境の変化に対応することが困難になります。日本の同調行動は、アブラゼミのように遺伝子情報だけで、変化する社会に立ち向かっているようです。そこには、学習による変化への対応能力が欠けていたようです。人は、言葉を身に付け、周囲から聞き、学び、身につけていろいろな知識や技術を習得できます。日本の場合、もう1つのネックである柔軟性に欠けるシステムの存在がありました。構成メンバーのつながり方が、タテ型の集団に偏り、柔軟なヨコ型の集団への移行が遅れていた面があるのです。成長には、「主体性」と「柔軟」が必要になります。一人ひとりの独自性を認め、組織として柔軟に課題に向き合う姿勢が求められるようになってきました。今回は、この「主体性」と「柔軟」について考えてみました。
主体性や柔軟性を育てるには、子どもの時からの支援や訓練の積み重ねが必要になります。子どもはやりたがりで、周囲のやっていることをまね何でもやってみたいものです。そこでの成功体験や新しい力を獲得したときに、興奮と達成感が沸き起こります。「わかる」「できる」「楽しい」学習や運動の中には、社会生活に必要な能力を向上せる要素が含んでいます。たとえば、子ども達のキャッチボールを見てみましょう。この運動をスムーズに行うためには、いくつかの要素が絡んできます。お互いに、相手の捕りやすい位置にバウンドさせる角度などを工夫し、コントロールを強化します。スムーズなキャッチボールをしようとするだけで、他者への配慮が自然と強化されます。遊びには、人とうまく関わる力、協調性、コミュニケーション能力、誠実さと思いやり、社交性を向上させる潜在力があります。本気で遊びに夢中になる子どもは、全力で取り組む姿勢や全力で行うことを経験します。また、失敗しても、もっとできるようになりたいと思う欲求を持つこともあります。困難を乗り越えてから得られる達成感を経験し、有能感と自尊心の体験などを獲得できる場が、遊びには多く用意されています。遊びの競争面だけを強調する考え方は、貧しいものがあります。遊びを楽しく行うためには、複数の要素が入っていたほうが良いケースもあります。真似をする、眩暈を覚える、偶然によって勝つなどの多面的な要素を体験する中で、遊びは楽しくなります。そんな楽しい経験を数多く提供できる親や先生がいれば、楽しい学びが数多く展開されることになります。それらの体験が、子ども達の主体性や柔軟性を育むことになります。
知識とは他者から与えられるものではなく、自ら創り上げていくものです。教師から与えられた学習をそのままやるやり方は、上から下への「伝達型」になります。子ども達が、自分で勉強の意味づけるようになると、子ども達が意味を提案する「自律型」になります。自律系は、子ども達が成長していくうえで大事なことになります。他律系の子どもではなく、自律系の子どもに育てていくことが求められています。脳の一部である扁桃体は、好きとか嫌いとか、心地よいとか不快とかあらゆる感情を仕分けしていきます。扁桃体から放出される報酬系の伝達物質が、ドーパミンです。成功体験や達成感を繰り返していると、それは快感になってきます。楽しむうちに覚えることが面白くなり、そして脳はイキイキするようになります。ドーパミンは、記憶力を高め、心地よいという気持ちや、達成感、やる気を生み出すわけです。見る、聞く、触る、嗅ぐ、味わうなど体験で得た情報は、扁桃体に伝わるのです。人に教えるのが好きな人間は、だいたい成績は上がるといいます。教えることの好きな人は、相手を理解し、相手が喜ぶ情報を意識してアウトプットすることを繰り返しています。教える相手が、向上した時に喜びを感じるようになるわけです。教えるほうは、相手の好みをインプットします。インプットしたことを、教える人にわかりやすいようにアウトレットします。インプットとアウトプットをスムーズに繰り返す過程で、自己の脳を満足させ、かつ相手を満足させるスキルを高めていくわけです。
もともとの知識がない限り、良いアイデアをだすことはできません。多くの知識があれば、課題解決のためのアイデアを作り出す知識の組み合わせが可能になります。課題解決のアイデアが適度に出れば、成功体験や達成感を得ることが容易になります。まずは上手に知識を、インプットする方法を身につけることになります。上手に知識をインプットした後、保存や貯蔵をよくするために復習をします。保存や貯蔵をよくするために知識の出し入れをしながら、特にアウトプットのトレーニングをすることが大切になります。これまでの学説では、詰込みは悪いとされてきました。でも、悪かったのは詰め込みではなく、詰め込み後の知識の使い方を教えなかったことだったのです。詰め込み後の知識の使い方のトレーニングが足りないことが悪かったということです。いわゆるインプットした知識を状況や課題に応じてアウトプットする訓練が、足りなかったというわけです。ある面で、柔軟性が欠如していたとも言えます。
自主性を鼓舞して、良い結果を上げた事例があります。スポーツ庁は、2008年度から全国の小学5年生と中学2年生を対象に、「全国体力・運動能力、運動習慣等調査(全国体力テスト)」を実施しています。ここで注目されている県が、大分県です。2008年には、都道府県ランキングの40位にいたのですが、今回は2位に躍進したのです。40位の結果を重く受け止めた大分県の教育関係者は、子どもが自主的に運動に取り組めるような授業の改善を進めてきまました。大分県のキーワードは「わかる」「できる」「楽しい」でした。子どもたちの自主性を促すために、支援指導する先生方は、知恵を絞り、工夫を重ねながら実践を重ねてきました。跳び箱もただ置くのではなく、配置を工夫するなどアレチックのような要素を加えて授業に臨みました。アスレチックのような要素を加えるだけで、子どもたちは目の色を変えたと言います。子ども達がみな同じゴールに向かうのではなく、自発的にやってみたいと思わせる雰囲気を大事にしました。ここでは、子どもたちの自発性を引き出す様々な取り組みが行われたのです。大分県の取り組みは、1つのモデルになるかもしれません。
最後になりますが、人々には、いろいろな欲求があります。その欲求が満たされれば、それはそれで満足という状態になります。一方、欲求不満が残るなら、それも悪くはないのです。欲求不満は、不満足や消化不良、そして疑問をもたらします。人間は、それらの不満や疑問を解明し解決することエネルギーを使う動物のようです。不満や疑問が、考える力や考えたいという気持ちを与えてくれます。脳はこれまでになかったこと、やったことのないことに直面すると、活性化するという特性を持っています。たいていの欲求というものは、好奇心を満たすことで満たされるものです。その欲求を満たし、時間がたてば飽きてしまい、楽しさを感じなくなり、次の疑問や不満に立ち向かうのが人間というわけです。実社会では、最終的に頭に入っている知識を使っていろいろ考えなければいけない場面が増えます。知識をうまく組み合わせた方が、実際の社会の中では役に立つ可能性が高いのです。絶えず頭の中の知識を更新し、増やして使う習慣を身につけている人が求められています。読んだ知識を行動の中に組み入れ、「ここはこれと組み合わせないといけない」と考えて、行動するケースを増やすべきだということになります。実際の行動の中に組み入れる作業をやらないと、知識は本物の力にならないということでもあります。そして、本物の力にしていくのは、主体性と柔軟性ということになります。