社会のあり方が変われば、「従来の思考やルール」の中身も変わることになります。たとえば、障害者の処遇に関する「医学モデル」と「社会モデル」の対比が言われるようになりました。障害者を治すという「医学モデル」から、障害者の過ごしやすい環境整備という「社会モデル」にかわりつつあります。このような変化が起きている場合、従来の思考やルールを変えていかなければなりません。社会モデルでは、社会のあり方が変われば障害というカテゴリーもなくなると変わるわけです。以前、医療モデルの立場からは、認知症の方の徘徊がネガティブに捉えられていました。でも、地域の理解や安全な環境が整っていれば、認知症の方の徘徊は心身の健康を維持増進する散歩(運動)と評価されるようになります。すでに、大阪などでは、徘徊という言葉を使わないようです。変化の激しい現代社会では、小学校から大学までの16年間で貯えた知識やスキルは、急速に陳腐化していきます。10年先の社会で活躍するためには、新しい知識や技術が必要になり、これに対応していく必要があります。常に学び、スキルをアップし続けていくことが求められるわけです。学校教育も、この混迷する時代に活躍できる子ども達を育成することが求められています。今までの思考を改め、新しいルールに沿った行動ができるようにならなければなりません。今回は、新しい教育観に挑戦してみました。
産業革命以来、会社は工場労働に適した上意下達型が主流でした。テイラー氏の科学的管理法は、生産性向上のため労信者を機械のごとく扱うこともありました。工業化優先の社会は、マニュアルに従って正確に作業する均質な人材が必要とされました。近代教育は、この均質な人材や上意下達型を受け入れる人材を大量に排出する役割を担っていました。でも、現在のように先の見通せない時代には、企業価値の源泉が人の創造力を優先にする流れになっています。求められるものは、量から質に変化しています。画一性は、成長を妨げるものと評価を下げています。事業環境が激変する現在、硬直した上意下達の組織は成長できない状況になりつつあります。求められる人材は、やりがいを持って課題に挑む社員になります。社員一人ひとりの「個の力」が、かつてなく重要になりつつあります。正確に作業する均質な人材の育成には、近代教育での画一的な教育が効率的でした。でも、現在のデジタル社会では、柔軟な発想で、課題を解決できる人材が求められています。この現代の要請に、学校の対応が遅れている状況があります。
良い学校が、求められています。もちろん、良い職場も求められています。そこで、「良い職場」と「悪い職場」の違いを見てみました。就職・転職者向けサイトの1400万件の社員の口コミを、データとして収集し、それを分析した調査があります。この調査では、約3400社の上場企業のうち、投稿者がつけた評点で上位5%と下位5%を抽出しました。1400万人の口コミから、頻出ワードを可視化しました。上位5%で最も多いのは「共感・自由」で、 下位5%は「ワンマン」「イエスマン」など閉塞感が漂うワードが多くなりました。さらに、この調査では、上位5%と下位5%の純利益合計額を3期前と比べています。上位5%の企業は純利益が7.7%増えており、逆に後者は、マイナス2.4%になっていました。企業の課題は、「共感・自由」で全てが解決するわけではありません。でも、「共感・自由」は、会社と社員が自らの価値を問い続ける原動力にはなるようです。言葉を買えれば、「フラット」で「自由闊達」な環境が、壁のない職場を作り出し、活性化をもたらすことを、この調査は示唆しているようです。良い学校にも、このような「共感・自由」が求められているのかもしれません。
良い学校の教師には、それなりのスキルが求められます。小学校に入る子供たちの学力は、「あいうえお」を書けないケースや1年レベルの漢字をスラスラ書けるケースまで様々です。この実態を捉えて、教師は個々の子供たちの進度に合わせて、授業を行うことになります。授業の結果、子ども達が目標を達成したかを評価します。届かない子供には、どうすれば達成できるかなどの工夫しながら、補習や支援、そしてプリント学習を通じて、目標に近づけていくわけです。早々と目標を超えている子どもには、それなりの難度の高い課題を出して、子どもの認知能力を高めていくことになります。個々の子ども達のつまずきや進捗状況を把握し、その状況に合わせて、目標を達成するための教材選択や教え方を工夫していくことになります。この活動は、日々行われなければなりません。日本の教育は、少ない予算で、世界最高レベルの教育実践力を誇ってきました。でも、この教育実践が、従来の均一性や上意下達を重視したものであり、現在の課題解決型には適合しないものになりつつあります。学校や教師、そして保護者の意識を変えて、現代社会が求める人材育成のモデルに変えていく必要があるようです。
学校や教師には、若い世代を育てるという大切な役割があります。多くの子どもたちが学ぶことを習慣化していれば、その学校の学力水準はおのずと良好なものになります。学ぶ力とは、子どもたちに備わっている知的好奇心や探究心になります。子ども達が、自ら課題に挑戦していく力を求められているわけです。これらの生徒をよりよく支援するためには、教師の能力も重要になります。教師の能力には、個人的知識、経験的知識、状況的知識、事例知識、暗黙知というものがあります。子どもたちの能力をできるかぎり開花させ、社会の荒波を泳ぎきる「たしかな学力」を獲得させるスキルの存在です。生徒を教えるだけでなく、自らが学びの専門家として実践の省察と熟考を持って学び続ける姿勢が求められます。現在の学校教育は、教師中心の授業から子どもの学び中心へと変化してきています。社会の変化により、教師は生涯にわたって学び続けることなしには職務を遂行できなくなってきました。
余談ですが、量子コンピュータのD-Waveマシンが、南カリフオルニア大学の情報科学研究所に設置されています。このマシンは、大学の研究者にも開放されています。D-Waveマシンを使う研究者の小学生のお嬢さんは、これを使ってプログラムを作ったそうです。小学生が、クラスの友達を互いの好き嫌いの関係で2つのグループに分けるプログラムです。このプログラムは、ソシオメトリーに応用できます。クラスの人間関係を、好き嫌いや趣味、そして学習の進度の要素を組みあわせて、席順を決めていくことができるのです。いじめや不登校の問題を解決する可能性を持つプログラムです。驚くべきことは、このマシンは小学生でも操作できるということです。D-Waveは、「組み合わせ最適化問題」が得意です。もし、世界規模でトラックや船舶、そして鉄道の物流の最適化を行えば、節約できる燃費や時間は莫大なものになります。子どもの好奇心は、並外れています。D-Waveを使って、子どもが挑戦したくなる課題を勝手に作って遊びはじめれば、思いがけない有用な組合せができるかもしれません。なお、D-Waveは組合せが得意です。でも、別の分野では不得手のものがあります。実際は、従来のコンピュータと併用しながら使うようになるようです。蛇足ですが、量子コンピュータと対比させて、スーパーコンピュータを含む従来型のコンピュータを古典コンピュータと呼ぶそうです。教師が学び続ける領域は、従来の教材研究に加え、これからの社会に必要不可欠になるツールの操作などに関する知見を、子ども達に教えるスキルが必要になるかもしれません。
最後になりますが、評判の良い教師は、それぞれの生徒の知識や性格の細かな違いを理解して支援を行います。彼らは、個々の生徒の学習の進捗状況を把握し、そこから適切な学習指導を組んでいくことができるわけです。でも、現在の学校教育の場では、生徒一人一人に合わせた個別授業が難しいという現実があります。もっとも、困難があれば、その現実を変えようとする人々もいます。その一つの成果に、adaptive learningがあります。adaptive learningは、一人ひとりの学習の進み具合に応じて学習内容を最適化した指導になります。コーピュータプログラムであるAIを教師にすれば、adaptive learningが可能になります。生徒全員の個人データベースで、それぞれの生徒の学習の進捗状況を記録していきます。進捗状況のデータベースをAIが参照することで、それぞれ何が足りないのかを把握できます。評判の良い人間の教師と似たことが、AI版adaptive learningでも可能となるわけです。日本学校では、子ども1人が1つのタブレットを持ち、オンライン教育を受けることが可能になりました。ITインフラの整備が進み、デジタル教科書も実現してきました。デジタル教科書の副教材やデジタル学習のソフトが進化すれば、各個人のレベルでも学習を進めやすくなります。教員は個々の生徒の学習履歴を瞬時に把握でき、それに応じた課題が出せます。教材に子ども達が合わせるのではなく、子どもの発達に教材を合わせることも可能になります。小中高のデジタル学習内容が一つのタブレットに集約されていれば、子どもの発達に合わせた教材配列が可能になるかもしれません。この教育環境が整えば、才能のある子ども発掘も容易になります。adaptive learningの視点から、子どもの才能を伸ばす仕組みも夢ではないのかもしれません。