「敬老」という言葉があるように、高齢者は世の中のことを多く経験しているという点で尊敬されてきた面があります。でも、高齢者が、いろいろ軽視される状況が生まれてきました。その状況に類似した状況が、認知症の方に対し偏見を持って見る目にあります。認知症の症状は様々で、脳の萎縮や損傷の部位により異なります。少し前のことが思い出せないとか理性的な行動が取れないなどの症状がでることもあります。進んだ国では、認知症の方も一般の人も普通に生活する光景があります。日本では、認知症の方の「徘徊」を極力避けようとします。でも、進んだ国では「徘徊で」はなく、散歩と呼びます。手厚い見守りで、徘徊を安全にすれば、散歩と呼べる体に良い運動になります。オランダとフランスには、認知症の人が集う街や村を模した介護施設があります。窮屈でない自由な社会が、国や地域に用意されているのです。日本にも、変化が現れています。2004年に痴呆」から「認知症」という言葉に変わって、偏見は少しずつ減ってきました。「認知症」に変わって偏見は減ったが、なお「できないこと」への誤解は根強いものがあるようです。そして、認知症の方も、できれば身体的にも。精神的にも、社会的にも健康な状態で、生活を送りたいと願っています。加齢による健康状態の低下は、人間なら誰しも訪れるものです。今回は、加齢による認知症の発症やその進行を少しでも遅らせることを考えてみました。
現在、認知症の発症やその進行を遅らせる技術が進んでいます。技術の進歩は、認知症の前段階であるMCIの傾向を身体的な変化から読み取ることが可能になりつつあります。この軽度認知障害は(MCI)の傾向を検知するシステムには、マクセルが販売する「UB-2」という装置を使います。使い方は、被験者は磁気センサーが付いた装置を両手の親指と人さし指に取り付けます。親指と人さし指に取り付け、15秒間指を開けたり閉めたりする運動を4パターン繰り返します。この4パターンの運動は、その場ですぐに変えるこが難しいため、患者のそのときの状況がわかりやすくなります。MCIの傾向があると、指の動きが不規則になるなどの変化が出てきます。この変化を波形グラフのデータにして、人工知能(AI)が解析することでMCIのリスクの有無を確認できる仕組みです。この実証実験の結果、正常な人とMCIの傾向がある人とを分類できる精度を約8割までに高めることができました。MCIの段階で、運動習慣や服薬の対策をすれば、進行を遅らせ、認知機能を保てる可能性が出てきているのです。
製薬会社のエーザイは、「「レカネマブ」といったMCIや軽度認知症の治療薬が発売しました。レカネマブは認知症を発症してから服用を始めた場合、病気の進行を遅滞することが可能になります。でも残念ですが、病気の進行を遅らせることはできても、症状改善までは難しい治療薬になります。軽度認症の段階で把握できれば、重症化への進行を抑えることができるわけです。現在、この進行を把握するツールは「MoCA-J」が主流になります。「MoCA-J」は、文章の復唱や図形の書き写しをするテストになります。医療機関では、医師の問診や問答形式のテストなどを使ってMCIの傾向を診断し、治療を促しています。MCIは、放っておくと認知症になるリスクが高いのです、でも、MCIの判定は、単なる物忘れとの判別が難しいことに課題がありました。一方、「UB-2」を定期的に使ってもらえれば、経過を見ることも可能になります。気軽に調べることができれば、早期の受診や治療につなげられる状況が生まれます。問題は、「UB-2」というマクセルの装置が医療機器ではないことです。そのために、MCIの診断には使えない状況があります。
指の運動からだけでなく、別面からMCIの症状を捉えようという試みもあります。認知症を発症している人の多くは、発症する前の段階から「におい」が分かりづらくなるという症状が現れます。ソニーは、嗅覚の変化でMCIの症状を捉えようとしています。ソニーは2023年、被験者の臭覚を測定する「におい提示装置」を発売しました。「におい」の分かりづらくなる特徴を活用し、装置を使って被験者に認知症の前兆があるかどうかを確認するものです。においの種類は何かを被験者が説明することで、被験者の嗅覚が正常かどうかを確かめます。装置には、においを再現するための香料やオイルなどを染み込ませた部品が複数搭載されています。この装置は、りんごや桃といったフルーツのほか、トーストが焼けるにおい、森林や花畑のにおいなども再現可能の優れものです。においが混ざることはなく、それぞれを正確に提示できるのです。においの判別と説明という簡単な方法で診断できれば、患者や医師の負担が小さくなります。検査を身近にできる装置は、非医療機器として、健康診断や人間ドックなどの場で活用することが可能になります。
認知症は、早期発見をすることが大事になります。高齢化の進行で、認知症患者だけでなく前段階のMCIに該当する人も増えています。厚生労働省によると、MCIの高齢者数は2022年に558万人になり、2060年までには632万人に増えると推定されています。早期の受診を促すために、MCIの段階で、予兆を見つける技術の引き合いは強まっています。MCIと正常に近い境界線にいる患者にとって、「MoCA-J」検査のハードルは非常に高いものがあります。現在、医療機関で実施している検査は、時間がかかるなど、患者にも医師にも負担が大きいのです。簡便で精度の高い検査技術の発展で、早い段階での受診につながることが期待されてきました。そして、期待に応える技術の開発が具現化しているのです。MCIの早期発見へ技術を磨くのは、マクセルやソニーだけではありません。大阪大学発スタートアップのアイ・ブレインサイエンス(大阪府吹田市)は、目の動きから認知機能を調べる検査プログラムを開発しました。この検査プログラムは、大阪・関西万博に出展しています。塩野義製薬は、会話内容から認知症やMCIの可能性を検知するAIの臨床試験を始めました。蛇足ですが、ソニーの装置は、既に名古市のクリニックで導入されています。この装置の内部のにおいを発する部品について、数年内に医薬品として薬事承認の取得を目指しているようです。
余談ですが、中国や東南アジアでは、高齢化現象が進んでいます。この現象が進むにつれて、認知症の問題も少しずつ取り上げられるようになりました。タイ内務省によると、タイの人口の約20%にあたる1300万人が60歳以上になります。老人ホーム業界は、今後5年にわたり毎年30%のペースで成長していくと予想されます。この業界には、病院やホテルの参入で、タイの老人ホームのレベルは著しく向上しています。タイの国民所得は、向上しています。そのような中で、多くの若いホワイトカラーが、両親を老人ホームに入れる必要があると認識しているのです。高齢の親族の世話をする意思や能力のある若い世代が減少する中、高齢者は自身が老人ホームを求める需要が増えています。老人ホームなら、コミュニティーがあり同年代の友達と話せるというわけです。ここに入居したことで、子どもたちがそれぞれの生活を送ることができていると話しています。そして問題は、入居者の身体的、精神的、社会的な健康の維持を施設の側で確保することにあります。特に、認知症などの早期発見治療ができれば、本人にとっても施設にとても負担が少なくなります。そのような優良な施設が社会的に評価され、入居者も事業者にも利益を生むことになります。早期発見や治療のツールを開発することは、日本だけでなく東南アジア諸国にとってもハッピーなことになります。
最後になりますが、人生100年と言われる時代は、70歳で定年しても、その後30年の余生があります。私たちは、この余生を楽しく生きることを求めます。楽しく生きるヒントが、ホスピタリズム(施設病)の対極にあるようです。ホスピタリズムとは、特に乳幼児期において、親と離れて施設で長期間生活することで、情緒的な発達の遅れや身体的な成長の遅れが生じることです。この子ども達は、感情表出が乏しく心身の発達がひどく遅れる特徴があります。貧しい施設で育った子どもに多く見られるようになり、社会問題になったこともあります。この対極に立つことが、楽しい生活への選択肢になるようです。発達心理学者ピアジェは、「調整」と「同化」について言及しています。発達の重要な側面であると考えている情報を取り入れることは、同化となります。自分の持っている知識が新しい情報によって変更されることを、調整と言います。生きがいや快感の一つに、知識や経験を取り入れて、自分の持っている知識や経験値を高めていくことがあります。日々新しい情報を取り入れ、自分の持っている知識を更新させながら、人間は成長し続けていきます。この成長に、楽しみを見出すわけです。「調整」と「同化」が容易にできる環境の中で、30年の老後を過ごしたいものです。