世界人口は1975年に40億人を突破してから、ほぼ12年の間隔で10億人ずつ増えています。この増える人口を支えるように、小麦の生産量は人口増加のペースを上回り、60年間で3.6倍以上に拡大しました。主食の小麦などは、消費者が増え、商品価格が上がれば、農家が増産に動きます。農家が増産に動くため、世界中で決定的に供給が不足する事態は考えにくいとされてきました。でも、問題も起きてきています。穀物価格が大幅に上昇すると、食料にアクセスできなくなる人々が増えるのです。国連報告書によると、2024年の世界の飢餓人口は6億7300万人に上りました。気候変動により、世界の食料生産には負の影響が出ることが懸念されています。そのような状況の中で、雑穀(アワやヒエなど)は干ばつにも強いため、気候変動対策として注目されています。国連も2023年を「国際雑穀年」と定め、雑穀への注目を促しています。雑穀は、米や麦の栽培が難しい痩せた土地でも育ち、持続可能な食料生産の面で期待されているのです。干ばつにも強いため、食料問題や気候変動の観点から現代的な意義が増している穀物とも言えます。問題は、アワやヒエなどの雑穀に関わる栽培の知恵が失われてきていることなのです。栽培の知恵が失われる中、日本では高齢化の人々が少数で支えている状況が続いています。対策としては、人手の確保は当然としても、高温耐性のある品種開発や、作付け、収穫時期などへの支援もが求められています。
コメ余りが指摘されてきた日本でも、令和の米騒動が起きました。米騒動は2024年8月頃から徐々に始まりました。このコメ不足前の5月頃から、面白い現象が現れました。もち麦が、業務用の中食や外食での採用が広がったのです。もち麦を使った商品は、夏のコメ品薄を背景に家庭向け需要でも急伸しました。コメ不足を背景に、白米にもち麦や雑穀を混ぜて炊飯する需要が高まったのです。もち麦を使った商品は、躍進の裏にあるのが独自の品種改良による食味の改善があります。もち麦には、麦特有のにおいがありました。このにおいを抑えたもち麦の品種改良に成功したのです。食味の改善とともに、もち麦の特徴である食物繊維の含有量を減らさない品種を開発しました。もち麦は、プチプチした食感と健康効果が指摘される水溶性食物繊維を豊富に含むのが特徴になります。白米にもち麦や雑穀を混ぜる食習慣が定着すれば、生活習慣病対策にもなります。コメ不足が、麦や雑穀の消費を促す過程で、これらの穀物が免疫強化に繋がると注目を集めるようになりました。たとえば、ヨーグルトを食べることで、腸内環境の改善が行われ、免疫力が強化されると説明されています。腸内細菌の本格的な医療応用が進んできたのは、ここ10年のことになります。人の腸内には1000種の以上の細菌がすみ、その数は40兆個以上とも言われています。この腸内細菌は、食物繊維を食べることで活動的になり、免疫作用を強化する仕組みが分かり始めたわけです。
キビもアワのような雑穀は、主食作物のコメや麦の栽培が難しい痩せた土地でも育つ作物になります。キビもアワも主要な穀物を意味する「五穀」に数えられ、ミネラルなど栄養価も高い作物になります。岩手県では北部を中心にキビやアワといった雑穀を食べる文化があります。歴史的には稲より先に栽培され、岩手の食文化を支えていた存在感のある作物になります。大谷選手で有名な県中部の花巻市は、全国有数の雑穀生産になります。コメや麦の栽培が難しい痩せた土地でも育ち、持続可能な食料生産という点でも注目されるようになりました。10年ほど前、20代半の若者が、海外を旅しました。その中で、オーストラリアでパーマカルチャー(循環型農業)に出合いました。このパーマカルチャーは、「Permanent(永続性)」、「Agriculture(農業)」、「Culture(文化)」を組み合わせた造語になります。これは、永続可能な農業を基盤とし、人と自然が共生しながら豊かになれるような暮らしや社会をデザインする手法です。彼は日本に帰ると、花巻市で、この循環型農業を実践しました。現在は、兄弟で雑穀を中心に、この農法を行っています。
岩手県は、冷害が多い地方になります。「やませ」とは、春から夏にかけて日本の太平洋側(特に東北地方)に吹く、冷たく湿った北東の風のことです。漢字では「山背」と書くことがあり、「冷害風」や「餓死風」とも呼ばれてきました。この風に備えて、ヒエやアワ、キビなどの雑穀を育て、食する文化が根付いてきたのです。ヒエは体を温め、捨てるところがない植物で、実を人が食べ、茎はかつて、農耕馬の餌としていました。岩手の文化は、家畜との共生が特徴になります。その特徴に、曲がり家(まがりや)があります。これは、人が住む母屋と馬屋がL字型に一体となった民家の様式です。人と馬が同じ屋根の下で生活し、食物を無駄にしない生活様式を確立していたとも言えます。この共生を支えてきた農家が、高齢化や少子化により弱体化しています。雑穀の良さを再確認した人々が増える中、生産する人は減少しているのです。需要があれば、そこにチャンスが生じます。津軽にある農園は、雑穀の栽培に本格的に参入しています。生産だけでなく、商品化にも力を注いでいます。免疫力を朝食で簡単に高めることができれば、優秀な食品になります。雑穀を中心に、朝食として手軽に取りやすいようシリアル食品に加工した商品を作っています。この町の物産センターにも、数種類の雑穀を混ぜた「彩穀ミックス」シリーズなどが並んでいます。
年々、地球温暖化の影響が深刻になってきています。2023年は、南アジアと東南アジアの降雨量が平年を下回り、この地域の大部分で作物の収量が減少しました。作物収量の減少は、タイの砂糖からスリランカのコメまで あらゆる農家に影響を及ぼしています。アジアだけではなく、この地域の反対側のブラジルにまで水不足の影響が起きています。南米アマゾン地域は、世界最大の水量を誇る大河があります。その大河の水位が、過去1世紀余りで最も低くなったのです。雨が少ないことで水力発電量が減少し、多くの工場や町が停電に追い込まれています。ブラジル内陸部の一部では、食料や水の供給が遮断された地域もあります。気候変動で降水量の分布が変わり、水の偏在に拍車をかけています。この気候変動の影響は、南米ペル一沖の海面水温が高くなるエルニーニョ現象によってより深刻になります。世界各地で干ばつなどの異常気象が相次ぎ、食料生産システムが揺らぎ始めています。ここ数年は、異常な高温や干ばつ、そして豪雨が各地で頻発しています。この異常が、作物の生産を阻害しているのです。この危機に備える作物が、雑穀ということになります。
余談になりますが、世界の人口を養うためには、安定した食料生産が欠かせません。安定させる要素に肥料があります。肥料の不足が、問題になっているのです。3大肥料の原料は、リン酸肥料がリン鉱石、カリ肥料がカリ鉱石、窒素肥料が天然ガスになります。天然ガスからは、窒素肥料がいつでもつくれます。アフリカでは、リン鉱石がモにモロッコやセネガルで産出されます。カリ鉱石の鉱山はエチオピアに鉱床があるといわれています。天然ガスは、アフリカが宝庫ともいわれるほど豊富にあります。問題は、これらの肥料がバランスよく世界にいきわたらない事なのです。結果として、肥料の高騰が続いています。農産物の生育には、肥料が欠かせません。肥料の安定確保が、食料安全保障の面からも重要な政策になります。世界の流れは、必要な肥料を自国の力量で確保することになっているようです。欧州では、官民で排せつ物からリンの回収を進めています。世界的な人口の増加と食料需要の増加を考慮すると、リンを回収するビジネスは成長産業になります。リン鉱石から加工するのに比べ、排せつ物から回収したリンの方が2~3割安いとされています。日本も、穀物の安定生産を考慮した場合、自前で肥料をある程度確保する施策が必要になるようです。
最後になりますが、岩手県北部には雑穀を収穫し、食べる文化が残り、花巻市は国内最大の雑穀産地になります。その120kmの北に位置する軽米町はアニメ化もされた人気漫画「ハイキュー! !」の舞台の1つとされています。このアニメファンは世界中におり、「ハイキュー! !」の聖地巡礼で訪れる人が増えています。聖地巡礼には、泊まる宿がいくつかあります。その一つの旅館では、地元の農園から雑穀を仕入れています。調理は、軽米町出身の主人の担当になります。彼は、雑穀を幼いときから食べ続けている方でもあります。夕食メニューは、1種の雑穀をブレンドした米飯に、とろみのあるヒエのスープが添えられたものも出るようです。聖地巡礼にあたる同旅館で、雑穀食に触れてレシピを持っていくファンもいるとのことです。岩手県北部の軽米町は「雑穀王国」を自称しています。小学校では、雑穀を栽培し、給食にもメニューになっています。雑穀を含めた穀物の不足は、これから状況により顕在化するリスクがあります。異常気象、国際紛争、燃料不足による肥料の枯渇など先が見通せない環境があります。そのような中で私たちができることは、品種改良が一つの対策になります。さらに根気のいる対策が、温暖化ガスの排出量削減による安定した気象条件になるかもしれません。
