地球は、2万年前ごろ寒冷化のために現在より海面が100m低くなっていました。最後の氷期が12000年前ごろに終わり、地球は暖かくなり始めました。平均気温徐々に高まり、現在より5℃も高くなり、温暖化で融け出し、海面が100mほど上昇したのです。日本では、縄文海進として知られています。この気候変動が、人類の生活や文化には大きな影響を与えています。この縄文中期には、人口が急拡大していきます。その理由は、温暖化とともに、アク抜き技術が確立したことです。縄文中期には、アクの多いコナラやミズナラ、トチノミなどの実、いわゆるドングリが主要な食料になりました。ここで、面白いことが起きます。土偶の製作が高度になっていくのです。ちなみに、国宝に指定される土偶が5体ほどあります。土偶は、生命を育む女性の神秘と力を表現し、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられました。ネズミは、アクのあるトチノミをそのまま食べることができます。縄文人は、自分たちの食料を食べるネズミを敵とみなします。ネズミを捕食するマムシは、縄文人にとって得難い味方になるわけです。時が経るにしたがって、マムシはトチノミの精霊の使いとして表象されるようになります。マムシの仮面を装着したトチノミの精霊像が、土器に描かれヘビの形に昇華していきます。もちろん、豊穣の象徴である女性の土偶にも精霊の形が塗りこめられています。土偶の顔(仮面)そのものが、マムシの顔に似たような土偶もあるようです。気候変動が生産体系を変え、人々の生活や信仰、そして文化を変えていくことが歴史の中に見られます。
現在、食の世界では、自然回帰、歴史回帰、伝統を見直すことが盛んに行われています。その流れに、気候変動もあるようです。気候の変動に関する研究が進むと、従来の学説に疑問を唱える研究者も現れます。イスラエルやヨルダンでは、農耕が約1万年前に始まったとされています。従来の農耕の歴史研究では、増えた人口を養うために、農耕を始めたとてきたとされてきました。増えた人口を養うために、人々が野生の植物を栽培するなどして農耕を始めたというわけです。この説に対して、イスラエルの研究者が別の可能性を提示したのです。この研究チームは、崩れた土砂が谷を埋めて平地ができたと考えています。山で土砂崩れが頻発して、狩猟が難しくなり、人類は農耕を始めたという説です。土砂崩れや山火事がきっかけで、森林が喪失し、山での狩猟が難しくなり、人々が狭い平地で農業を始めた可能性があるというものです。確かに、イスラエルやヨルダンの地域には、土砂崩れや山火事の痕跡が認められるのです。人口が増えたから農業が始まったのではなく、狩猟ができなくなり、山が平地になったから、農業に従事する人が出てきたという説になるようです。農耕は、狭い土地で多くの食料を生産できます。人類はそれらの自然の異変を切り抜けるために工夫を重ね、農地を生み出したということです。人類は豊かな生活を求めて知恵を絞り、農耕や都市の建設に取り組んで文明を発達させたという説になります。
現在は、気候変動をかなり正確に把握する技術ができています。マツやブナは寒いときと乾燥しているときの両方の条件下で、幅の狭い年輪が形成されます。これらの年輪の記録から、気候への影響の分析に使えることが明らかになりました。これらの年輪を調べる学問領域が、年輪年代学として認知されるようになりました。連続した年輪記録であるドイツのブナとマツ年輪年代は、過去1万2650年までさかのぼることができます。建設の活発な時期にあたるローマ時代は、この年輪年代に関する情報を人類に多数提供しています。樹木伐採と広域の森林破壊をもたらしたことも、教えてくれるのです。ローマ時代の全盛期は、多数の森林破壊をもたらしたことが明らかになっています。一方、別の情報をもたらす事件もあります。ペスト(黒死病)の大流行が、1346年から1353年にかけてヨーロッパを襲いました。この大流行は、ヨーロッパの人口を50%以上奪ったと言われています。ペストの大流行が、ヨーロッパの森林にとって、森林破壊から一時的に救われた時期という情報をもたらします。もう一つの気候因子は、火山になります。フィリピンの赤道近いピナツボ火山が、1991年6月に噴火しました。このピナツボ火山の噴火は、火山灰の雲が大気圏35キロの高さ、成層圏まで噴き上がったのです。巨大火山が噴火すると、エアロゾルが大量に放出されます。エアロゾルの影響は、火山灰粒子が太陽放射エネルギーを遮り、地球の気温を低下させるのです。ピナツボ火山によるエアロゾルの影響は、噴火後の2年間ほど、地球の気温を低下させました。この火山の噴火の後の15ケ月間、全球平均気温が約0.5C低下しました。火山噴火による突然の気温低下は、世界中の温度に敏感な年輪の記録に表れているのです。
過去の地球で、どのような「事件」が起こっていたのかを知っておくことは大切です。その事件が予測可能な性質のものだったのかどうかを知っておくことは、今後の生き方を考えるうえで重要になります。年輪の記録から、過去の火山噴火の発生年と大きさが分かるようになりました。もちろん、地球の公転軌道の変化と年輪の記録の関連から、いくつかの大きな出来事が分かるようになりました。この変化のスピードと経路が分かれば、気候変動のメカニズムにまでに理解が進み、いくつかの有効な対策が立てられるようになるかもしれません。近年、年縞と呼ばれる特殊な堆積物が脚光を浴びています。年縞とは、1年に1枚ずつ形成される薄い地層のことです。この薄い地層の気候の推移を、1年ごとに詳細に復元することができるようになってきました。その地層にスギ花粉が多ければ、その年の気温や湿度などの環境条件が分かるわけです。1991年の春、福井県の若狭湾岸にある水月湖で、良質の年縞堆積物の存在が確認されました。水月湖の年縞は45メートルもの厚さを持ち、7万年以上もの年代をカバーしていたのです。ドイツの年輪が1万年をカバーし、日本の水月湖が7万年の気候をカバーしていることになります。水月湖では、地質時代に「何が」「いつ」起きたかを世界最高の精度で知ることができるわけです。たとえば、縄文海進の時のスギ花粉の多寡により、どのような植生が盛んだったのかなどが推測されるわけです。
年輪や年縞からだけでなく、糞石などからも、人間の生活や植生が把握できるようになりつつあります。アメリカでの昆虫考古学の研究の特色の一つが、糞石中から出土する昆虫の研究があります。オレゴン州の岩陰から糞石からは、アリやシロアリが未消化のまま残されています。シロアリの糞石の年代は、9500年前のものです。古代先住民たちがときおりシロアリだけの食事を摂っていたことを示唆しているのです。また、メサ・ヴェルデ遺跡のアナサジ族の糞石の中からは、セミとバッタの遺体が発見されました。アナサジ族は7〜18世紀、アメリカ南西部の広い地域に住み、トウモロコシなどを栽培していた農耕民族です。アナサジ族の周辺の環境が変化し、低木や草原が優勢になり、バッタの数が増えた時期がありました。彼らが、バッタをよく食べるようになります。そして、面白いことが起きてきます。糞石の中には、バッタと七面鳥の骨も増加してくるのです。家畜化した七面鳥が、畑に群がるバッタの被害を防ぐ目的で飼育されたようです。アナサジ族は、バッタと七面鳥からたんぱく質を摂取していたということが分かります。気候の変動で、地域による食の制約が生じました。それが足かせになり、人間に良い食材の利用や調理が抑制されてきた歴史もあるようです。
余談になりますが、人類が優位になる以前は、どうだったのでしょうか。人類の祖先は、穀物よりも昆虫を食べていたようです。昆虫は、今から3億6000万から4億1000万年前のデボン紀に誕生しました。誕生から数億年たった1億4000万から2億1000万年前のジュラ紀に、最盛期を迎えます。でも繁栄すれば、その敵も現れます。昆虫はジュラ紀に現れた恐竜に追われて、夜行性を余儀なくされていきます。同じように、恐竜から逃げ隠れていた夜行性の原始哺乳類たちの食料源となりました。人類の誕生は、500万年前と言われています。森で細々と生活する人類は、昆虫を食べながら命をつないでいたのです。その名残が、現在のサルに見られます。サルは虫が好きで、特にゴキブリが大好きです。人類は、樹の上で昆虫を捕まえるのに役だつ身体的特徴を進化させました。昆虫を食べる生活は、手の器用さ、手と足の分化、頭脳の発達という基盤を人類にもたらしました。一方、手の器用さ、手と足の分化、頭脳の発達を獲得した人類が失ったものもあります。それは、色覚です。この色覚は、魚類、延虫類、鳥類において4色型が基本になります。基本的に脊椎動物は4色型なのですが、私たちの祖先である噛乳類は錐体を2種類失って、2色型になります。中生代の恐竜の時代、噛乳類の祖先は、夜行性の小動物でした。夜行性の小動物には、高度な色覚の必要がありませんでした。2色型は暗いところに行けば行くほど、昆虫取りに有利で、3倍ほど効率が良いとされます。でも、われわれの祖先は、噛乳類から霊長類と進化していきます。中世代の夜行性の生活から、新生代初期には広葉樹の大森林で生活をするようになります。狩猟採取生活になると、木の実も主食になっていくわけです。2色型の霊長類には、弱点があります。葉の緑の中から、赤っぽい色の果実を識別するのは難しいのです。霊長類は、いったんなくした「緑型」を、「赤型」の木の実を見つける視力を新たに創りだしたというわけです。霊長類はこういった光の状態が複雑な環境の中で、3色型の色覚を取り戻したという経過があります。
最後になりますが、人類が自然の異変に対応して文明を生み、それを発展させてきた経緯があります。とすれば、その教訓は現代人にとっても有用なものになります。異変に対する教訓は、温暖化がもたらす猛暑や豪雨に悩む現代人にとっても有用なものになる可能性があります。1万年の時間軸では、日本において縄文海進として知られている時期があります。この時期、埼玉県の富士見市は海になっていました。このような状況になれば、現在の防潮堤などは意味をなさないものになってしまいます。1万年の時間軸や20万年の時間軸は、三陸沖の巨大防潮堤工事の反省材料を提供する知見になるもしれません。地球の軌道、太陽放射エネルギー、火山活動の変化の組み合わせで、過去の気候を知ることは必要です。地質学的な時間を視野に入れれば、現在の土木技術の「想定」と「対策」に限界があることは明らかなようです。日本のトンネルや堤防などのインフラの修繕費は、年間12兆円になるとの試算があります。このような修繕費も惰性で継続的に行うことには、無駄があるようです。温暖化の視点から、集中と選択、人口移動とコンパクトシティ化などの施策も考慮する時代になってきたようです。お金を掛けずに、命を大切にする仕組みも求められるようです。
