サラブレッドは、18世紀初頭のイギリスで競走用に品種改良された、世界で最も速く走る能力に特化した馬の品種になります。このサラブレッドが、競馬場で私たちに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。これは、品種改良が続けてこられた成果になります。サラブレッドは本質的に短距離向きの血統になります。短距離に向いている馬は、速筋の割合が多くなります。速筋は、瞬発力を出すことに優れた筋肉です。この速筋の短所は、長い時間にわたって力を出すことができないことです。つまり、長距離には向いていないということになります。人間の陸上競技の短距離選手の場合、速筋と遅筋の割合はおよそ70%と30%と言われています。ちなみに、遅筋の力は弱いのですが、長く運動を続けることができる筋肉になります。長距離選手になると速筋が30%で遅筋が70%となって大きな違いがでてきます。速筋と遅筋の割合をサラブレッドで調べてみると、速筋が87%で遅筋が17%になるのです。いかに、短距離向きで、長距離向きでないかがわかります。このサラブレッドを、訓練によってダービーの2400mや菊花貰の3000mにまで走れるようにする仕事が、調教師をはじめ、厩舎関係者の役割になるわけです。
少し前のお話しになりますが、2018年の第23回秋華賞で、C・ルメール騎手騎乗の1番人気アーモンドアイ史上5頭目の牝馬三冠を達成しました。翌週の10月21日菊花賞では、C・ルメール騎乗の7番人気フィエールマンが制覇しています。さらに、翌週の10月28日天皇賞秋は、C・ルメール騎手騎乗の2番人気レイデオロが栄誉を勝ち取っています。ルメール騎手の活躍だけが目に付きますが、その裏方にも注目が集まっています。この3頭のG1馬を調整したノーザンファーム天栄も、3週連続G1制覇の栄誉を受けたのです。特に、菊花賞を7番人気で制覇したフィエールマンには、玄人筋から注目が集まりました。フィエールマンは夏の猛暑で消耗し、福島のレース後には480kgあった馬体が450kgまで減っていました。8月に入って菊花貰へのぶっつけ本番を決めたわけです。福島県天栄村にあるノーザンファーム天栄では、体質が弱いキャリア3戦の馬が、3000mの長丁場に休み明けで臨む常識破れのローテションで臨んだのです。7番人気でしたが、勝算があったのでしょう。他の陣営が誇る良血馬を押しのけて栄冠を勝ち取るには、それなりの調整の工夫あるようです。天栄の施設は、栗東並の坂路と周回コース、ウオーキンググマシン、トレッドミルなどが充実しています。天栄村のノーザンファーム天栄には、競走馬の力を養成し、力を引き出す「何か」があるのかもしれません。
短距離の素質を持つ馬を長距離も走れる馬にするには、それなりのトレーニングが必要です。人間で言えば、インターバルトレーニングや高地トレーニングが考えられます。たとえば、高地トレーニングは、酸素の薄い環境である程度の負荷をかけた練習をします。低地より酸素が薄く、疲労しやすい環境において、わざわざ練習をするわけです。ヘモグロビンを含む赤血球の寿命は、120日程度です。高地では、この赤血球が速く壊れ、壊れれば速く再生されるようになります。壊れた赤血球は、以前より多い赤血球を再生しようとします。一般に、高地トレーニングは、3週間以上練習を続けないと、効果が現れないとされてきました。ヘモグロビンを含む赤血球増減は、有酸素運動に関係しています。この赤血球が壊れ再生されるには、時間がかかるとされてきました。ところが、最近の高地トレーニングの知見は、この疑問を解消してくれました。数日の高地滞在でも、持久力やパワーをつけることは可能だという見解になってきています。酸素の薄い環境でのレーニングは、体内のミトコンドリアの活動を活発にするのです。この環境でのトレーニングは、平地に戻った際に筋肉の働きを良くするのです。専門家も「リスクを理解して活用すれば、高地トレは短期間でも効果がある」と話すまでになっています。
さらに、最近は腸内細菌の知見も増えてきました。最近の研究で、優れたスポーツ選手には特殊な菌があることが分かりました。スポーツ種目の違いによって、腸内細菌叢には違いがあることも分かってきたのです。たとえば、ラグビー選手と長距離選手の腸内細菌には、違いがあるのです。長距離選手は体調が悪く成績が落ち込むときに、腸内細菌叢にも変化が見られます。長距離選手では、体調が悪くなると、酪酸菌やビフィズス菌が減っていました。ラグビーのような激しい運動は、特に体に負荷がかかり、一時的に免疫の低下を招きます。この免疫を早くは回復させる腸内細菌叢を、ラグビー選手は持っているというわけです。蛇足ですが、ボストンマラソンに参加する選手の協力を得て、走る前と後で「便」を採取しました。この便からトップアスリートの腸内にすむ菌をマウスの腸に移植したところ、マウスの運動能力が高まるという現象が見られました。もし、優れた競走馬に特有の腸内細菌が発見されたならば、この腸内細菌の活用も、これからの課題になるかもしれません。
余談になりますが、肥満の方の腸内フローラでは、短鎖脂肪酸の生産力が落ちていることがわかってきました。この短鎖脂肪酸とは、腸内細菌が作る、酪酸、プロピオン酸、酢酸などの有機酸のことです。短鎖脂肪酸は、他の栄養分とともに腸から吸収され、血液中に入って全身へ運ばれます。短鎖脂肪酸には、腸の細胞を刺激してインクレチンのホルモンを分泌させる力があります。インクレチンにはすい臓に働きかけてインスリンの分泌を促す効果があります。ある意味で、血糖を調節し、糖尿病にならないということになります。脂肪細胞には、短鎖脂肪酸を感知するセンサー(受容体)がついています。脂肪細胞センサーが短鎖脂肪酸を感知すると、細胞は栄養分の取り込みをやめます。また、交感神経にも短鎖脂肪酸に反応するセンサーあります。交感神経が、短鎖脂肪酸を感知すると全身の代謝が活性化するのです。それは、心拍数の増加や体温の上昇などにより、あまった栄養分を燃やして消費させていくことになります。短鎖脂肪酸は脂肪の蓄積を抑え、消費を増やすという両面から、肥満を防ぐ働きをするわけです。競走馬の予想では、馬体重の増減が重要な指標になります。もし、馬体重を調教の段階である程度コントロールできれば、良い状態で競走馬をレースに出すことも可能になるかもしれません。
蛇足ですが、腸内細菌を元気にする物質が入った薬や食品を「プレバイオディクス」と呼びます。プレバイオディクスの代表的なものには、オリゴ糖があります。オリゴ糖などは、「善玉菌」のビフィズス菌のエサとなります。オリゴ糖というエサが、ビフィズス菌を増やすために、健康に良いとされるわけです。一方、エサではなく、菌そのものが入った薬や食品は「プロバイオティス」と呼ばれています。プロバイオティスは、ヨーグルトや乳酸菌飲料(ヤクルト)などがおなじみです。細菌たちの生態系のことを「腸内フローラ」と呼びます。腸内細菌は、人間が食べたものをエサにして、互いに競い合い助け合う関係を築いています。競走馬にもこのような腸内細菌があるとすれば、それを把握した調教師は一歩有利な調教が可能になるかもしれません。
最後になりますが、日本では 競走馬を調教する施設に栗東トレーニング・センターと茨城県美浦村にある美浦トレーニング・センターがります。ここでのサラブレッドの育成方法は、目覚ましく進歩を遂げています。でも、その上をいく国も現れています。ドバイの競馬は賞金総額も高く、優れたサラブレッドや調教師が集まっています。そこでは、競走馬を強くする試行錯誤が行われています。ドバイの厩舎には、トレーニング用マシンを設置しているところもあります。競走馬専用のトレッドミルで、騎手が騎乗しなくてもトレーニングができるのです。このトレーニングでは、脚元や背中への負担を軽減できます。トレッドミルを使う際、ウマの安全性に関しては専門のスタッフが2名ついて、万全を期しているようです。ある面で、日本の坂路コースやウッドチップコースよりも、サラブレッドの負担を軽くしながら、有酸素能力を高めるトレーニングをしていることになります。この有酸素能力を高める高地とレーニン施設が、人間の長距離選手や愛好家を対象に作らえ始めています。日本各地に、高地トレーニングの施設が作られるようになっているのです。その一つに、長野県東御市で高地トレーニング施設が本格的に稼働しています。標高に1730mに敷かれた400mトラックは、国内最高峰にあります。トップ選手が早速合宿を組むようになっています。また、長野県小諸市には、標高2000m地点に4kmの林道があります。この林道を利用した駅伝やトライアスロンの選手は、延べ4千人が練習に訪れているのです。競走馬を強くする高地とレーニン施設ができて、そこでノーザンファーム天栄のような調教と腸内細菌の効果的利用による育成が行われれば、より強い競走馬が誕生するかもしれません。
