私たちは、中国のつまずきに過大に関心を抱きがちです。でも、中国では確実に進歩や発展している分野があります。その一つに、科学分野があります。中国の科学分野で進展は、目を見張るものがあります。その一つが、科学技術論文の量と質に関する3指標で3冠を達成したことです。この3指標での3冠達成は、これまで米国のみが達成してきたものです。2年前の文科省の調査で、総論文数と注目論文の数でそれぞれ中国が米国を抜いたことが分かっています。研究論文、は他の研究者による引用が多いほど質が高いと評価されます。その引用上位10%に入る注目論文の数で、米国を抜いたのです。さらに、引用上位の1%に入る論文をトップ論文といいます。トップ論文は、その分野をけん引する最も優れた研究といえるものです。トップ論文の10年前の世界シェアをみると、米国が41.2%と圧倒的で、2位の英国が7.6%、そして、3位の中国は6.4%でした。今回文科省が発表したトップ論文のシェアは、中国が27.2%、米国が24.9%と3位の英国の5.5%を大きく引き離したのです。ちなみに、日本のトップ論文は世界シェアで1.6%にとどまっています。中国は10年前の696本から2018~20年の直近の3年平均で約7倍の4744本と本数を急増させています。今回の発表では、中国の総論文数は40万7181本となり、米国の29万3434本に10万本ほどの差をつけたことになります。
過去の経緯から見えることは、トップ論文を数多く出す国からは、ノーベル賞受賞者が確実に増えるということです。科学論文の数は、国の研究活動の状況を示す基本的な指標になります。日本は、この分野でも勢いを失いつつあります。総論文数では5位を維持しているものの、注目論文はスペインと韓国に抜かれ12位にまで後退しています。トップ論文は、インドに抜かれています。日本は、世界をリードしてきた科学技術力も、人材と投資の縮小により先行きに暗雲が出始めています。日本は明治の不平等条約を克服し、第2次大戦の敗戦から立ち直った経験があります。もちろん、日本も衰えることに身を任せることを良しとせず、科学立国を再構築する対策もたてています。日本政府は、2021年度から5カ年の「科学技術イノベーション基本計画」を進めています。10兆円のファンドを準備しています。若手研究者の処遇改善や運用益で、大学の研究活動を支える10兆円の大学ファンドを進めています。研究者数では、中国が228万人(2020年)で2位の米国の159万人(2019年)になります。日本は、研究者数で3位になります。日本の研究者は、69万人(2021年)であり、その潜在力は侮れないものがあります。そこで、この潜在力を生かす仕組みを考えてみました。
中国の科学技術の発展には、それなりの理由があります。一つの視点は、投資額になります。2007年の研究投資は、米国43兆円、日本19兆円、中国6兆円でした。その中国は、2020年の研究開発費は前年比7.5%増の59兆円になっています。継続的に、研究費を増やしてきたことが分かります。さらに、人材に対する投資も注目すべきものがありました。米国の博士課程の取得者は5万人で、中国が5千人、インドが約2千人、日本が3百人になります。米国の博士号取得者の出身大学は、精華大学が1位、2位が北京大学であることなどです。優秀な人材を帰国させるための起業支援(6千社以上の実績)の優遇策が行われています。北京大学は、1988年に設立した方正集団公司が中国の巨大企業になりつつあります。政府系北京生命科学研究所のリーダー23人は、全て米国帰りの中国人でした。優秀な人材の帰国を促し、彼らに起業の道を容易にする手立てを講じたわけです。中国は優秀な人材を世界に送り出し、力をつけた人材を本国に呼び戻します。そして、権威あるサイエンスやネイチャーに掲載する論文が急激に増やしていったわけです。
中国の成功例に学ぶことも必要ですが、日本独自の仕組みを構築することも求められます。日本の科学技術・学術政策研究所は、2020年度から環境や論文に代表される情報を収集しています。その中で、研究者の論文で引用された回数が上位10%に入る論文が注目度の高い論文とされています。注目度の高い論文は、トップ論文になるケースも出てきます。ある意味、この注目論文を発信できる研究者を育てることが、日本の科学技術の底上げにつながることになります。注目論文がある一方で、注目度の高くない論文もあります。注目度の高い論文と注目度の高くない論文を書いた研究者の調査があります。この調査から、研究者が注目度の高い論文を生み出すには何が必要かのヒントが浮かび上がります。大学の教員3000人以上を対象に、研究の目的などについてアンケート調査したものです。その中で、理学・工学・農学分野の85%の研究者が、自らの知的好奇心に応えることが注目度の高い論文になると答えいます。注目論文を出した研究者の多くが、研究の目的としたの「自らの知的好奇心に応えること」だったのです。理工農分野では、好奇心を重視して研究できる環境を整えることが重要というコンセプトが生まれます。日本の科学研究力を高めるには、研究者の知的好奇心に基づく研究を後押しする仕組みが必要になるようです。さらに面白いことが、分かってきました。成果を出す研究者は、最新の論文に関する勉強会を週に1回以上開いていることでした。論文の勉強会は、これまであり注目されていませんでした。論文の勉強会を、うまく生かせれば、研究力の底上げにつながることが明らかになってきたわけです。好奇心に加えて、「挑戦的な課題に取り組む」ことも、注目論文を出す研究者の回答に多かったのです。資金、海外留学、そして好奇心を配慮した研究者の育成が求められるようです。
ある専門家に言わせると、文明の発展は人類の好奇心が大きく貢献しているということになります。人類は、好奇心が他の動物より旺盛なのだというのです。その最たるものは、安住の地であるアフリカから、人類がアフリカから出たことにあるようです。人類がアフリカを出てから、5~7万年になります。そして4~6万年の潜伏期を経て、1万年前ぐらいから文明が発祥しました。この潜伏期から文明の初期は、狩猟採集時代といわれています。狩猟採集時代の次には、農業の時代がやってきました。この時代は、個々人が多くの集団に所属し、緩急の繋がりを構築し、農業生産を高めていきました。農業生産は、人びとが組織的に繋がり、集団から逸脱する行動をとらないことが一つの約束になります。農業社会のように安定化を優先すると、現状維持を優先して行うことになります。そこでは、挑戦的姿勢は軽視され、すぐに成果の出る事柄が優先されていくわけです。ある意味で、現在の日本における科学技術の現状に似た状態になります。安定を優先する姿勢は、生産を飛躍的に高め、次のステージに移行することを妨げます。でも、このパターンは危機的状況になった場合、集団に大きな被害を及ぼします。人類には、アフリカから果敢に出たという好奇心の遺伝情報があります。安定を望む多数の人びとがいる一方で、危険な事に挑戦する少数の人もいたわけです。一定の飽和状態が訪れたときに、この旺盛な好奇心を発揮しようとする異端者(挑戦者)が出てきます。面白いことに、文明や文化を発展させてきた組織を見ると、先見性のある組織は、好奇心の旺盛な人を大切にしてきました。日本の科学においても、70万人の研究者を温存しています。この人材に、好奇心や挑戦という付加価値を付与して活躍の場を提供することができれば、日本の科学技術の復活を実現するかもしれません。
余談になりますが、人類の遺伝子の中にある好奇心は、拡散型好奇心と追求型好奇心があるとされています。好奇心は、人類の発展を支えてきた要素になります。でも、拡散型好奇心だけを伸ばしていくと、問題点を分析することもできず、解決策も見いだせないままに流れていきます。そこで、追求型好奇心を使いながら。問題点を分析し、一定の解決方法を見出す作業も必要になります。日頃から拡散型好奇心と追求型好奇心を経験している子どもは、課題に真摯に向き合い、解決の糸口を見出していくようです。拡散型好奇心と追求型好奇心の両方の好奇心がバランスよく発揮される状態が望ましいことが分かります。それでは、この好奇心の能力をどのように育てていけば良いのかという課題にぶつかります。この課題に、先進国の教育は、立ち向かっている状態になります。深く分かることは、大切です。真理の探究が、学問の使命という考えもあります。でも、世の中常に深いところまで分からなくとも生活はできます。状況によっては、とりあえず浅い分かり方でも良い場合も多いようです。このような経験を、幼児期、小学生、中学生の頃から豊富に接することができれば、高度な人材の育成の仕組みになるかもしれません。
先進国の教育においては、将来に向けた人材育成が、この急激な進歩に負けないように構築されつつあります。現在の仕事が65%なくなり、その代わりの仕事が知的で高度な労働に代わっても、21世紀型の学校はそれに備えているわけです。この21世紀型の学校は、①グローバル市民の形成を目的とし、②平等公正な教育を掲げ、学びのイノベーションを推進し、③探究と協同の学びで学習者中心の授業を推進し、④教師は教える専門家から学びの専門家へと移行し、⑤教職専門性の開発を学校経営の中心に位置づけるなどをして、変化に備えています。民間も、有能な人材のモチベーションを高める手法を開発しています。その一つに、20%ルールがあります。仕事の一定の割合を自由に20%持たせる手法は、創造性をアップさせるのに効果がります。ある意味、この手法は好奇心と挑戦の課題を追求するものになります。自分の興味の向くプロジェクトに集中する時間を持つことで、創造性をアップできるわけです。日本の科学力や技術力をより高みに上げるために、一定の資金の供給と研究者が自由に挑戦できる環境を整えたいものです。