欧米の演劇の源流は、古代ギリシャから続く伝統とも言えます。ギリシャには、悲劇と喜劇の源流もあります。ある意味で、笑いの文化が底流にあるわけです。欧米優位の中で、日本文化は質的に欧米文化と肩を並べるという評価を受けています。日本の場合、万葉集や古今集の伝統の中には笑いの萌芽がありました。川柳や狂歌などの源は、広く深い和歌を中軸とする伝統的な短詩型文芸にその根を持っています。川柳、狂歌、都々逸は、ユニークな笑いを醸し出します。ユニークな笑いを醸し出す趣向の極致として、落語があります。日本人は笑いの文化を創り上げてきたのです。近代になると、デカルトに代表される批判的で合理的な思考方法が現れます。このデカルトにとっても、笑いには快さと攻撃性がともにあるという理解になるようです。さらに、カントになると「判断力批判」という書物において、笑いを取り上げます。このカントは、治療効果と健康促進の価値を笑いに認めています。時代は進み、笑いを積極的に評価する人々も現れます。その一人にベルグソンがいます。ベルクソンは、笑いをいくつものパターンに分け、法則として体系化します。文化・社会生活の枠内に滑稽さを組み入れ、いくつものパターンに分けていきます。ベルクソンは、容姿、仕草、物腰、状況、言葉、性格からくる滑稽さや笑いについて述べています。笑いは、多様な分野で活躍できる素地があるようです。今回は、この笑いをビジネスに活用する企業の思惑を眺めてみました。
先進国の悩みの一つは、生活習慣病とガンの医療費にあります。この悩みの解決を、笑いという視点から見る流れが出てきました。高齢になると、免疫機能が衰えて、感染症に罹りやすくなります。こうした免疫機能の劣化は、「免疫老化」と呼ばれています。免疫老化が進むと、異常細胞が増殖してガン化するのです。もっとも、ガン細胞は、健康体の方でも日常的に発生しています。免疫機能が正常であれば、この発生したガン細胞を無害にしてしまいます。でも、免疫老化が進むと、免疫システムが異常細胞の増殖を抑えることができなくなるわけです。加齢とともに、このような不安が顕在化してきます。この不安を払しょくする事例を、笑いの研究が提示してくれるようになりました。笑いやユーモアが、心臓血管系や免疫系のはたらきを改善する効果を持つことを教えてくれたのです。笑いなどが、免疫効果のあるサイトカインやナチュラルキラー細胞の活動を高めることを明らかになってきました。たとえば、精神神経免疫学の立場から、笑いと免疫の関係を確かめる実験が行われました。50名の学生を、若者に受けるコメディをビデオで60分ほど観てもらうグループと椅子に座り雑誌を読むグループに分けました。実験の前に学生の血液採取をし、実験後にも血液採取をしてナチュラルキラー細胞の活性を調べたのです。2つのグループに分け、ナチュラルキラー細胞の活性の変化を測定したわけです。結果は、椅子に座り雑誌を読むグループのナチュラルキラー細胞の活性は下がりました。コメディを観た学生のナチュラルキラー細胞の活性は、非常に上がったという結果でした。笑った後、免疫グロブリンが高まり、ナチュラルキラー細胞が活性化されたわけです。笑いが免疫機能を高めるということは、科学的に証明されるようになってきました。この種の研究事例は、数多く報告されるようになっているのです。
以前から、「病は気から」という気持ちの持ちようが言われてきました。その病気との関係では、ネガティブな感情が重要視されていました。ネガティブ感情を持つと、「ストレスが増しますよ」とか「病気の進行が早くなりますよ」という具合です。気持ちの持ちようと病気との関係では、不安や怒りなどの感情が重要視されてきたわけです。でも、最近は違う流れが出てきました。強さやしなやかさ、幸福感、感謝といったポジティブな感情が注目されるようになってきたのです。ポジティブな感情を強めることで、病気の予防や健康増進の手法が注目されているのです。ポジティブの代表には、笑いがあります。たとえば、笑うと自律神経へ影響を与えます。この影響で、活動時に高まる交感神経が活性化します。そして、笑った後はリラックス時に優位になる副交感神経に切り替わることが分かっています。交感神経がいつまでも活性化していることは、心身に悪い影響を与えます。同じように、副交感神経がいつまでも働いていることも、心身に悪い影響を与えます。適度に、交互に働くことが望ましいわけです。笑いは、この切り替えを行う有意義なツールになるわけです。この笑いを生活に取り入れることにより、円滑な自律神経の活動を維持することになるわけです。
近年、ポジティブな状態に導くお笑いが、各企業の経営に参加する流れが出てきています。先進的な企業では、人的資本経営や健康経営へ関心が高まっています。NTTは共同で、メンタルへルスにおける笑いの効果の科学的検証を進めています。NTTは国立精神・神経医療研究センターと共同で、笑いの効果の科学的検証を進めているのです。お笑いの動画を見ると、脳の前頭葉に酸素や糖を送る脳血流量が大幅に増えることが明らかになっています。NTTは、お笑い動画を見ることで様々な症状を改善させる医療機器の開発を視野に入れています。NTTだけでなく、お笑いの本家である吉本興業も、笑いと健康プロジェクトを標傍し、幅広く企業との提携を進めています。吉本は、「笑いが企業の課題解決のための有力な処方箋になりうると考えています。笑いの力が、従業員の健康増進や働きやすさにつながるとみています。吉本には、すでに水面下で20社ほどから、提携の打診が来ているようです。これらの企業は、吉本興業と提携して、笑いと健康をテーマにした新たな商品やサービスの開発に動いています。
打診をしている企業に、スポーツメーカのアシックスがあります。アシックスは、吉本興業と提携しています。アシックスには、スポーツ工学研究所があります。この研究所は、「スポーツで培った知的技術により、質の高いライフスタイルを創造する」というビジョンを具現化する部門になります。この研究所の知見を使って、アシックスは吉本と提携し、お笑い芸人がギャグを披露する際の動作を解析しました。具体的には、呼吸数、心拍数、運動負荷を測定し、その結果を解析したわけです。この結果、ギャグの動作が心身の状態が改善したことが明らかになりました。アシックスは、吉本芸人のギャグを盛り込んだ新しい体操を制作することになりました。アシックスは、お笑いのギャクを取り入れた新しい体操の開発中ということになります。この企業は、「ラジオ体操のように普及させる」ことを狙っているようです。もしこのような新しい発想のもとで開発された体操が普及すれば、世の中は楽しいことになります。笑いの中で運動が継続されるようになり、この運動により筋トレの効果が出るようになれば、マイオカインの分泌が促され、人間の免疫が強化されることになります。認知症の進行も、抑えられるようになります。この研究成果を、大いに期待しています。
余談ですが、筋肉が分泌するマイオカインの中には、認知症やガンを予防することに効果が期待できるものもあるのです。マイオカインには、認知症以外の病気を抑え込む効果もあることが明らかになってきています。イリシンというマイオカインは、筋肉から分泌された後、血流に乗って脳に到達します。イリシンが脳に到達すると、脳の中でBDNFという物質が多く分泌されます。BDNFは、Brain Derived Neurotrophic Factor(脳由来の神経栄養因子)のことになります。BDNFという物質が多く分泌されると、情報伝達に役立つ神経細胞が作られるのです。結果として、この物質が多く分泌されると、脳の機能が高まることが分かってきました。逆に、筋肉が萎縮すると脳の機能が低下することも分かってきました。萎縮した筋肉は、”マイオカインのうち、脳にプラスに働くホルモンが分泌されにくくなるのです。さらに、萎縮した筋肉は、認知機能が低下する方向に働きかけるホルモンを分泌するようになります。萎縮した筋肉は、認知機能が低下する方向に働きかけるホルモン(へモペキシン) を分泌するようになります。このヘモペキシンは海馬に働きかけ、認知症の発症を促進する働きをしてしまうのです。筋肉の肥大は、ある面で心身に良い作用を及ぼすわけです。ホルモンを分泌する臓器は、脳の下垂体、すい臓、甲状腺、副腎などが知られていました。その働きも、人間の生命活動に不可欠なものとされていたわけです。ホルモンを分泌する器官と同じような働きが、筋肉にもあることが判明したのは、2000年代に入ってからのことになります。筋肉が分泌するホルモンは、「マイオカイン」と総称されています。これは、現在、30種以上が確認されているのです。マイオカインは、筋肉を動かすことで筋肉から分泌されます。筋肉は、体重の3~4割を占める大きな器官になります。筋肉の重要性が、高まっています。その筋肉増強と笑いが融合すれば、新たなビズネスの領域が開拓されるかもしれません。
最後は、笑いと地方創生の可能性になります。三菱商事は、吉本興業と業務提携契約を交わし、お笑いを中心にコンテンツを生かしたビジネスをもくろんでいます。三菱商事は、吉本のお笑いコンテンツは世界に通用するとみています。お笑いを軸にしたコンテンツビジネスの強化に加え、健康ビジネスを視野に入れているようです。お笑いと健康ビジネスのモデルの萌芽も見られます。看護師や介護士などの資格を持つお笑い芸人が、地道に活動していることが話題になっています。小平さんは、芸人としては昨年のM―1グランプリで予選2回戦敗退とまだ芽が出ない方になります。彼は、地元埼玉県川口市で訪問看護の会社を立ち上げました。無事に審査を通り、2023年11月に訪問看護の会社はスタートしました。埼玉県は、人口10万人あたりの看護師数が、全国平均に比べ大幅に少ない県になります。彼は、少なければ、少しでも看護師の仕事の役割を果たそうとして会社の設立を行ったのです。3人の看護師仲間に声をかけ、自転車で訪問看護をしているのです。お笑い芸人と看護師の二刀流が、笑顔あふれる訪問看護として話題になっているのです。役所には身構えるお年寄りも、お笑い芸人たちの訪問なら最初から笑顔になるようです。お年寄り向けの健康管理や医療の第一線で、お笑い芸人の方が地道に活動しているモデルになります。吉本には、すでに芸人が各都道府県に住み、地域に密着した芸能活動を行うプロジェクトを展関しています。吉本には。小平さんのような活動を行う下地ができているわけです。三菱商事は、この人材を生かしながら地方活性化にも共同で取り組む意図を持っています。この「住みます芸人」と呼ばれる地方芸人と三菱食品が地域の特産を生かした新たな食品や雑貨などの新商品を開発に取り組んでいます。総業企業としての三菱が、笑いを取り入れて、各種の事業展開が成功に導かれれば面白いことになります。