AIにはない喜びをゲームの世界が提供する  アイデア広場 その1584

 人工知能(AI)の進歩は、人間の知能労働者を駆逐する勢いです。弁護士さんも、この流れに翻弄されているようです。もっとも、上位の弁護士は、顧客から高いスキルを評価され、信頼を勝ち取っています。この信頼を勝ち取っている弁護士は、高い報酬を得ています。問題は、中位レベルまでの弁護士がAIに追い抜かれるかもしれないという点になります。今回は、人工知能(AI)と人間の知能の長所と短所と見ながら、未来の共生を考えてみました。考えるヒントは、チェスにあります。1977年にチェスのゲームで、AI「ディープブルー」が世界チャンピオンのカスバロフに勝ったのは有名な話です。でも、彼は敗れても、次の一手を考えていました。ディープブルーに敗北したカスバロフは、「アドバンスト・チェス」を開発したのです。このアドバンスト・チェスは、人間とAIがペアとなって対戦するゲームです。現在、アドバンスト・チェスでは、人間とAIがタッグを組んだチームの方がAI単独だけよりも強いことが実証されています。つまり、AIの利用は、人間とタッグを組んで活用したほうがより良い効果を産みだすという仮説が成り立ちます。

 もう一つのヒントは、日本の将棋になります。将棋の駒は、40枚あります。その中で、もっとも頼りになる駒は飛車と言われています。「へぼ将棋、玉より飛車を可愛がり」などの格言があるように、「飛車」は攻めにも受けにも強く、盤上で最も強力な駒になります。将棋には、開始時の駒の形が横に大きく動かす「振り飛車」の戦い方と、開始時の駒の形から飛車を動かさない「居飛車」の戦い方があります。飛車を動かす場所は主に3通りあり、いずれも将棋AIはマイナスの評価を下しています。最も大きなマイナス評価が出る「後手中飛車」は、実戦例が減ってしまいました。もともと振り飛車党は少数派でした。将棋AIが出現したころから、上位にランクされる棋士ほどその割合が減る傾向が続いてきたのです。ところが将棋トップ棋士の間で 、AIが不利と評価する戦法「振り飛車」が見直されているのです。振り飛車を積極的に採用する棋士が現れ、藤井聡太七冠とのタイトル戦でも指されるようになっています。

 2020年前後の時期のトップ層は、ほとんどを居飛車党の棋士が占めていました。この時期、8つあるタイトル戦において振り飛車はほとんど見られませんでした。居飛車の優位性が、ある程度、定着していたともいえます。その要因の1つは、次々とタイトルを獲得していった藤井聡太七冠が居飛しか指さないことにもありました。もう一つの要因は、2016年ごろから浸透してきた将棋AIの活用になります。AIが示す有利な戦い方を暗記し、再現できるかが勝敗に直結するようになったのです。将棋AIの推論は、緊密なので感覚を挟む余地がないと専門棋士が感じるようになったようです。居飛車同士の戦型は、ある程度演縄的な推論が成り立ち、セオリー(定跡)ができていきました。将棋AIの活用では、体力と時間を要する研究や勝負では20代の若手に有利に働いていました。ある30代のA級棋士は、AI研究に傾く風潮に疲れを感じていたようです。さらに、AI研究が進むと実戦で蓄積してきた感性を「捨てていかなきゃならなくなった」と嘆く棋士も出てきました。勝負の世界は、理詰めだけでなく、勝負勘という感性も重要な要素になります。この感性を磨く余地が、少なくなったことを嘆いていたようです。ところが、ここ数年で、居飛車党の棋士が多く占めていた傾向が、振り飛車にも風が吹いてきているのです。

 将棋の藤井8冠の強さが、多くの人の話題になります。彼が強い理由はその才能にも有りますが、AIの使い方にもあると言われています。かつてのように、棋士とAIが強さを競い合う時代はすでに終わりました。多くの棋士は、AIを将棋の研究に使うようになりました。棋士の使うAIにも、長所と短所を持ち合わせたものあるようです。AI個々によって、得意分野があり、局面の状態を数値化した評価値の判断もそれぞれで違のです。将棋AIには、NNUE系とディープラーニング系があります。NNUE系は、ニューラルネット評価関数を用いるという特徴があります。NNUE系は、将棋界に早くから取り入れられてきました。その特徴は、読みの速度に優れていることです。一方、ディープラーニング系のAIは、盤面を画像で認識しそこから指し手を予測することに優れています。ディープラーニング系は、速度は遅いものの局面認識の精度が高いという特徴を持ちます。ここ最近ではディープラーニング系が勢力を伸ばしつつあるようです。2つのAIの特徴を勘案しながら、終盤の解析はNNUE系で行い、序盤は両方の評価値を見比べながら研究している棋士が多いようです。これまで棋士個人や棋士の仲間で行っていた研究を、AIにかけて解析することで、深い探索が可能になったのです。AIを使うことで、同じ時間で以前より広く深い探索が可能になりました。この活用で、得られる知識は、質と量ともに昔の比ではなくなり、これまでにない規模の研究が行えるようになったわけです。この活用に時間と労力を使い切り、感性を磨く時間が少なくなってきたことも、一つの転機になってきたようです。

 将棋の最高峰である名人戦七番勝負は、順位戦最上位のA級10人のトップが挑戦者になります。トップ棋士であるA級で振り飛車を指す棋士は、この10人中ほぼ1人で推移してきました。ところが、A級で振り飛車を指す棋士が、2024年度は3人に増えたのです。振り飛車復活の流れを作ったのは、転向組の佐藤天彦九段になります。佐藤九段は、居飛車を指していた時期に名人を3期獲得した実績があります。佐藤九段は、振り飛車で当初は苦戦していました。でも、2024年度はA級でトップを走り続けました。最終的に名人挑戦は逃したものの、居飛車から振り飛車へのモデルチェンジの成功を印象づけたのです。また、タイトル戦では、2023年度に振り飛車党の菅井竜也八段が藤井七冠に2度挑戦しました。ここで、菅井竜也八段が善戦し、藤井七冠相手にも振り飛車で十分戦えるということを示したのです。振り飛車再評価の背景には、AI研究合戦による居飛車同士の戦いの行き詰まり感があるようです。AIの定石を指すだけでは、疲れることが多くなったのかもしれません。そして、振り飛車の戦法に、新しい地平線が見えてきた可能性もあります。

 余談ですが、新しい将棋の戦法をアイデアに置き換えてみました。アイデアを生み出すことは、知的作業の中核になります。新しいアイデアを生み出すことが、あらゆる分野で重要な課題になってきました。アイデアも単なるアイデアではなく、問題解決を目指したものが評価されています。将棋の場合、問題解決は勝つことになります。現在では、居飛車で勝つか、振り飛車で勝つになります。「アイデアを出す能力」と、「アイデアを出し続ける能力」は、どちらも重要になります。新しい指し手と勝ち続ける指し手を、高めていくことが棋士には求められるわけです。今までの経験など自分の側頭葉に蓄積したものがあります。さらに、課題解決(勝つ)ために、課題に関する情報をできるかぎり収集します。次に、自分の蓄積した知識と収集したデータの組み合わせで、徹底的に考えに考えます。次が難しいのですが、いったん考えたことを忘れて、潜在意識にデータの組み合わせをまかせることになります。いわゆる「寝かせる」とか「熟成させる」という期間を準備することになります。この期間が、どれくらいになるかは、なかなか難しいのです。でも、この作業をする人には、必ずアイデア(感性やひらめき)が湧いてきます。

 最後になりますが、「最善」や「真理」の追究は将棋や囲碁の醍醐味になります。勝負の中で生まれるひらめきは、楽しさにつながります。情報収集やその組み合わせ、そしてその熟成の仕方により、個性が現れるものです。藤井七冠は、「振り飛車党でも佐藤九段と菅井八段では棋風が全く違う」と話しています。また佐藤九段は、「AI研究は若さ、時間との親和性が高い」と指摘しています。結果として、AIが戦法を深めている居飛車を、若手は研究していると言います。一方、振り飛車を指すようになったトップ棋士は、30代半ばが目立つようです。「30代には人間同士の中で得てきた戦い方の知恵のようなものがある」と佐藤九段はいうのです。AIから少し距離を置く30代の棋士は、感性やひらめきを若手より多く体験してきたようです。いわゆる社会的知性というものを側頭葉に蓄積しているのかもしれません。将棋の世界は、AI全盛の世です。でもその中に、人間の創造力を探る一つの場を提供しているようです。AI研究の先端を行く将棋界での静かな変革は、人間とAIの関係を見つめ直す機会を提供しているのかもしれません。ゲームの中で生まれるひらめきは、どんな分野にも通じる喜びを提供する要因になります。

タイトルとURLをコピーしました