私たちを取り巻く社会には、多くの「依存症」が存在します。この依存には、ギャンブル、買い物、ゲームの行動をやめられなくなる「プロセス依存」があります。そして、薬物、ニコチンなどのモノをやめもれなくなる「物質依存」があるわけです。これらの依存症を治すためには、「べき」とか「ねばならない」といった建前論だけでは治すことができません。近年のデジタル環境の進化により、スマホなどを通じたゲーム依存が問題になっています。最新のゲームは、高揚感・満足感・充実感・征服感でプレーヤーに心地よい世界を提供しています。もちろん、心地よい満足感を提供するのは、ゲームに限りません。ディズニーランドは、ハッピーを約束してくれるような空想の世界を提供してくれます。K-POPやJ-POPの人気コンサートは、興奮と満足感を提供してくれます。ジョギングは、肉体を酷使することによって気分の転換の転換を図り、その後の達成感を味わうことができます。これらは、自分の持っている時間に関係なく終わりの時が来ます。でも、ゲームの世界は、自分の時間が許せば、延々と続けることができます。さらに、最近のゲームは、のめりこませるプロフェッショナルたちがつくり出したゲームの世界に、子どもたちがのめりでいくように作られています。高揚感・満足感・充実感・征服感の心地よい世界と絶望感・悲哀感などを醸し出した負の世界のギャップをつくり、ゲームの世界へと引き込んでいく仕掛けがいくつも潜ませています。判折力が完成しきっていない子どもたちが、このゲームの世界に足を踏み入れれば、抜け出せなくなる状況も生まれています。子どもがゲームにハマリ続けると、必然的に時間が削られていきます。そのことに気づいた家庭には、いろいろな悲劇が起きてくるようになりました。今回は、ゲーム依存から現在問題になっているスマホ依存などの問題を考えてみました。
最初に、確認しておきたいことは、ゲームをプレイする子どもたち全員が依存症になることはないことです。依存症になる子どもいるが、ならない子どももいるのです。ゲームの特性を考えることから始めてみました。ゲームは高得点を取って、高揚感・満足感・充足感・征服感など、天国へ昇るような気分が得られます。一方では、絶望感・悲哀感などに襲われる低得点の欲求不満を繰り返します。ゲームの高得点の幸福と低得点の絶望を繰り返すことを、ジェットコースター現象と言います。これが、ゲームの1つの特徴になります。ある行動を継続している状態を、「習慣性」があるといいます。日常生活は、習慣により成り立っており、行動は一度習慣化すると継続するようになります。1日に3度摂る食事の習慣、昼は仕事や勉強、朝や寝る前にブラッンングをする歯磨きの習慣などから、人間の生活は成り立っています。一定の時間が来れば、次の行動に移っていきます。依存性が形成されると、適当な時間でやめられなくなり、次への行動が送れるとかできなくなります。依存性が形成されると、ゲームを自分の思うように扱えなくなります。さらに困ったことは、ゲーム依存症になるまでの時間は子どもたちがゲームをはじめてから短時間でやってくることです。子どもたちがゲームきはじめてから、依存性ができるまでの期間は経験的に5年以内といわれています。
依存症の子どもたちがおちいる症状を、3つの側面からみてとれます。第1の症状が、生活状態の変質です。衣類や身の回りのことに無関心になります。ゲームにハマリ、勉強が疎かになり成績は下降線を描き、次第に勉強への意欲を失っていきます。1日中、ゲームの新たな攻略法の発見や操作法の改良について考えていくようになります。健康な生活を送っている時には、授業時間には勉強に集中し読書の最中はその内容に夢中になっていました。そのような姿が、なくなっていきます。第二の症状は、家族関係の変化になります。ゲームのやりすぎを心配し、親がゲームを制限し始める時期が来ます。親の介入が始まると、好きなだけやりたる子どもとの間で衝突が起こります。子どもは、あらゆる手練手管や言い訳をしながらームをやろうとします。親は騙されまいと必死になり、親子の駆け引きと争いが延々続く状況が生まれます。家庭内に、不穏な空気が流れることになります。第3の症状は、精神状態の悪化になります。子どもは、ゲームができないとイライラして落ち着かない状態になります。ゲームに向き合う時間が増えて、人と話す機会が減ります。人とのコミュニケーションが不足するために、柔軟な思考や感情の表現が損なわれやすくなります。柔軟な思考が失われるために、短絡的を思考に陥る傾向が強まるのです。米国で問題になっているのは、ゲーム依存症の子どもが暴力に走ることが多くなっていることです。
子どもが、ゲーム以外のことには関心が向かないので、集中力や注意力が低下して散漫な状態になると親は心配や不安を持つようになります。親の立場から、ゲームをする子ども達への関与を見てみました。最初のうち親は、子どものゲーム対する活力にあふれた執拗な粘りに手を焼く状況が続きます。それでも度が過ぎてくると、親はゲーム機の使用制限や取りあげなどの介入に出るようになります。加えて、親は心配のあまり、勉強や登校時間などの監視を強めることになります。介入の結果、良くなる場合も治らない場合もあります。介入する親は、子どもの勉強や学習時間を把握し、見るに見かねてアドバイスをはじめます。でも、ゲームをやりたがる子と、これを阻止しようとする親との駆け引きや衝突が繰り返される状況が生まれます。親は仕事と子どもとの駆け引きで、疲労が限界を超え、家族全体が変調になるケースも出てきています。ゲーム依存症が進行するにつれて、子どもも親も、家庭も厳しい状況に追い込まれていく場合もあるようです。
依存症を抑止する法律や規制は、各国で取られています。たとえば、未成年者への飲酒を法律で禁止して、大人になる前に酒を飲ませないように規定してあります。日本では、未成年者飲酒禁止法があります。飲酒年齢を引き上げることによって、アルコール依存症になる確率を減らしているのです。一方、ゲーム依存症にはまったく規制がありませんでした。ゲームを子どもに許可する時期は、できるだけ遅い年齢が望ましいことが経験的には分かっていました。それは、年齢が低いと脳の発達が未熟で、ゲームの刺激を受けやすく、依存症になる可能性が高いことが分かっていたからです。近年、ゲームがギャンブルと似たような症状を引き起こすことが判明しました。ゲームとギャンブルは、両方とも似通った快感(現実逃避、高揚感、達成感など)が得られます。ギャンブル依存症も、ギャンブルができないと不安や焦燥感が出てきます。ゲームとギャンブルは、生活面や家族関係、そして精神状態に影響を及ぼす共通点が存在します。相違点は、金を賭けるか否かなどの経済的リスクを負うか否かにありました。でも、この境界線もなくなりつつあります。「時は金なり」という観点からは、ゲーム依存症は、時間のムダ使いになります。
余談になりますが、日本の刑務所は、受刑者を7万人収容しています。この収容人数は、増えもせず、減少もしない状態を維持しています。その中で、覚醒剤などの薬物依存の受刑者は、1万人程度で推移しているのです。覚醒剤の再犯率も高く、4年以内の再犯率は約3割です。日本では受刑者一人あたりの費用は、年間約300万円になっています。300億円が、薬物依存の受刑者に使われていることになります。一方、EUでは、個人の「使用」に対しては、刑罰よりも治療を優先しています。再犯率が高く、刑務所内での薬物依存症の治療は困難です。再犯をすれば、刑は加算されていきます。刑期が長くなれば、それだけ刑務所での収容期間は長くなり、税金が無駄に使われることになります。刑務所で受刑者を指導するより、町場の工場で活き活きと働いてもらうほうが、社会の利益になるという考えがでてきます。いわゆる作業療法という形式で、働いてもらうわけです。働く意欲のないホームレスや薬物依存症の人を雇えば、工場の稼働率が低下するのではないかという心配が出てきます。意欲のない人を雇用することは、無駄を助長するという不安です。薬物依存者が刑務所に入ることは、明らかに300億円の無駄です。この受刑者がEUのように工場で働くようになれば、300億円は節約されます。薬物依存者が工場で働けば、生産活動に従事し、利益を上げることになります。でも、この人達が工場で働く場合、最初の内、生産活動は未熟で、無駄な雇用をしたと考える人もでてきます。良く考えると、300億円を節約し、健常者より少ないけど一定の利益を上げています。社会的に見れば、大きな利益を上げているとポジティブに考えることもできるわけです。
最後になりますが、ゲームの延長線上にある未成年のソーシャルメディア(SNS)依存が世界的な問題になっています。SNS依存は子どものメタルヘルスに悪影響を与え、深刻な社会問桓になっています。米国では、高校生の77%がSNSを利用し、その依存度が高いほどいじめや自殺願望などが増える傾向にあります。このような状況おいて、メタやグーグルなどのSNSには裁判という逆風が吹いています。利用者が、依存症になるように意図的にSNSのアルゴリズムを設計している点を問題視する人たちが現れています。いわゆる1990年代に起きた「たばこ産業」に対する裁判と同じ経過をたどろうとしています。たばこ訴訟においては、若者を対象に意図的に喫煙に導く広告・宣伝を繰り広げた点が問題になりました。結果として、たばこの企業は、巨額の和解金でこの危機を乗り切りました。SNS依存においても、同様の経過をたどるようです。その経過の中で、ゲーム依存やSNS依存のメカニズムが明らかになり、依存症の解明が進み、楽しくゲームやSNSの利用ができる環境が整えばハッピーです。
