AIや生成AIが、芸術の世界に侵入し始めています。たとえば、音楽生成AIで作った楽曲は悪くはないが、繰り返し聞きたくなる質ではないという意見があります。一家言を持つ知人も、機械には繰り返し聞きたくなる音質を拾い上げることがまだできないと言います。この理由は、機械は人間がつくれる最も優れた部分を大量のデータの中から拾い上げられないためということです。これは、大量のデータの中から拾いあげても、平均の質に向かってしまうことを意味します。定型的な文書のような低コストのアニメーションの作成などでは、生成AIが力を発揮します。人々が「ぜひ聞きたい」「ぜひ見たい」と思うような最高の音楽やアニメを生み出すには、まだまだ時期尚早ですよと、知人は宣わっていまいました。ところが、この知人の信念を揺るがすような地殻変動が起きつつあるのです。
変動の一端が、SF小説に見られるようになりました。小説イコール文学と考えると、文学とは「言語によって人間の外界および内界を表現する芸術作品」(広辞苑第六版) となります。文学とはと、AIに尋ねると、「人間の感情、思想、社会のあり方を描写し、普遍的な人間像を追究する言葉の芸術」と答えます。この文学の世界に、AIが侵入し、多くの人々の心をつかむまでになってきています。先月、日経「星新一賞」の受賞作品の発表があり、これが13回目となります。この賞は、最終審査までに1~3次審査があり、これを通過した10作品からグランプリなどを決めることになります。昨年も10作品中にAIを使ったものもありましたが、最終審査において低い評価になっていました。6人の審査員に、AI使用の有無を知らされるのは受賞作が決まった後になります。昨年は、AI作品に1票を投じず、「見抜いた」ことに審査員みながホッとしていたようです。普遍的な人間像を、審査員の方は守った文学の防波堤になったわけです。ところが、今年は、まったく違っていました。一般部門の応募数は1923作品に及び、そのうち474作品がAIを使っていたのです。さらに、これらの作品が1~3次審査通過し、最終選考に残った10作品中半分が「AIとの共作」でした。一般部門においてグランプリや優秀賞など受賞4作品のうち3作品が創作過程でAIを活用していたことが分かったのです。ある審査員は、作品を読んでAIか否かはまったく見分がつきませんでした。あとから言われてみると、面白くまとまっていると判断した作品や星新一の作風などに照らして評価したものがAIを活用した作品、そして理系的発想力やSFらしさと判断したものがAIだったというのです。むしろわかりづらい、何か物足りない、これがSFかと思った作品が、AIを使っていなかったというパロディーのようなお話しでした。
SF小説に関わる審査員の中には、時代を先取りする方もいるようです。創設当初から関わるSF作家のある方は、AIの躍進に驚きながらも文学への活用に前向きです。作家には、創作に関するアイデアやモチーフがいくつもあるが、「手が追い付かない」状況が悩みの種になります。手が追いつかない人を助けるツールが、AIの賢い使い方だというわけです。このような考え方は、文明が進化する中で常に取り入れられてきたパターンです。産業界では、このパターンをすでに取り入れています。生成AIは、労働補完型の技術になります。生成AIを上手に使うことにより、既存の労働をより生産的に、より快適で質が高いものにできるという説が多くなりつつあります。労働補完型の生成AIに、人が介在する余地が残るかどうかは、その仕事の元々の複雑さによります。仕事が一定以上複雑な場合、生成AIを投入して効率を上げるのは人間ということです。AIがつくり上げる作品を検証し、正しいかどうか見極める目を持つ人材の存在です。つまり、技術自体をコントロールする人材や最終的な出力の責任を持って選択する人材を養成することが必要なのです。小説の場合、「手が追い付かない」状況になった場合、アイデアやモチーフそして材料を提示し、AIに下書きまかせます。その時に、適切な「プロンプト」を提示ことが必要になります。人間が入力する指示文は、「プロンプト」と呼ばれています。同じ回答を要求する場合でも、プロンプトを工夫するだけで出力がまったく違ってくるのです。たとえば、言語モデル生成AIに、文章で「主人公がこんな不安に悩んでいるので、その解決する答えを生成してほしい」と指示すると、指示の希望通りの答えを生成します。先取りの作家は、手が追いつかない人が生成AIを使うことで思いを小説にできる人が増えるとみているようです。
知的ゲームの世界では、すでにAIと人間の共生が始まっています。将棋の藤井8冠の強さが、多くの人の話題になります。彼が強い理由はその才能にも有りますが、AIの使い方にもあると言われています。かつてのように、棋士とAIが強さを競い合う時代はすでに終わりました。多くの棋士は、AIを将棋の研究に使うようになりました。棋士の使うAIにも、長所と短所を持ち合わせたものあるようです。AI個々によって、得意分野があり局面の状態を数値化した評価値の判断もそれぞれで違のです。将棋AIには、NNUE系とディープラーニング系があります。NNUE系は、ニューラルネット評価関数を用いるという特徴があります。NNUE系は、将棋界に早くから取り入れられてきました。その特徴は、読みの速度に優れていることです。一方、ディープラーニング系は、将棋AIは盤面を画像で認識しそこから指し手を予測することに優れています。ディープラーニング系は、速度は遅いものの局面認識の精度が高いという特徴を持ちます。ここ最近ではディープラーニング系が勢力を伸ばしつつあるようです。2つのAIの特徴を勘案しながら、終盤の解析はNNUE系で行い、序盤は両方の評価値を見比べながら研究している棋士が多いようです。これまで棋士個人や棋士の仲間で行っていた研究を、AIにかけて解析することで、深い探索が可能になったのです。AIを使うことで、同じ時間で以前より広く深い探索が可能になりました。この活用で、得られる知識は、質と量ともに昔の比ではなくなり、これまでにない規模の研究が行えるようになったわけです。文学の世界でも、SF小説、恋愛小説、青春小説、ファンタジーなどいろいろな分野があります。その分野に適したAIが1つではなく、2~3を使いこなして、作品を深化させる手法も可能になるかもしれません。
余談になりますが、1977年にチェスのゲームで、AI「ディープブルー」が世界チャンピオンのカスバロフに勝ったのは有名な話です。でも、彼は敗れても、次の一手を考えていました。ディープブルーに敗北したカスバロフは、「アドバンスト・チェス」を開発したのです。このアドバンスト・チェスは、人間とAIがペアとなって対戦するゲームです。2019年現在、アドバンスト・チェスでは、人間とAIがタッグを組んだチームの方がAI単独だけよりも強いことが実証されています。つまり、AIの利用は、人間とタッグを組んで活用したほうがより良い効果を産みだすという仮説が成り立ちます。この仮説から、さらに飛躍を目指そうとする方も現れています。今回の日経「星新一賞」で、志縞円(しじまえん)氏は、 AIを活用した作品で優秀賞を受賞しました。彼は、「並行自己調停株式会社」で優秀賞を受賞した志縞氏は、AIがなければ小説を書こうと思わなかったようです。志縞氏は、今度はAIの力を借りずに書いてみたいと語っていました。彼は、創作の面白さを知ったようです。手軽にアイデアやモチーフが、AIを活用することで、作品が作れるようになりました。これを契機に、自分の隠れた才能を見出す道具としてAIの活用も選択肢になるかもしれません。
最後になりますが、巧みに言葉を操るチャットGPTの登場には、福音と衝撃の両方が同時に起こりました。脳科学の専門家などは、言語が人間に固有の能力だと信じてきました。それが、生成AIにより、瞬く間に破られています。破られていく中で、その衝撃を上手に利用する人たちも現れています。人間とAIの共生を楽観的に考えていた人々も、最近のAIの進歩には驚くことが多くなりました。2020年には、すでに世界の労働の29%がAIとロボットに置き換わっており、2025年には、世界の労働の52%が機械化されるまでになってきたのです。この事態を12年前に予測した人物が、英国のオックスフオード大学のマイケル・オズボーン教授でした。当時の論文では、作家やアニメーター、そして弁護士も自動化の可能性を5%未満としていました。でも、この予測も大幅に短縮されつつあります。その中でも、AIがなかなか克服できない。当時、建設現場では多くの作業を自動化できると予測していました。現在でも、自動化が進んでいません。自動化は、コストの壁に阻まれています。作業を自動化できるロボットは、現時点ではまだ非常に高価なものです。12年前は、技術の導入コストを考慮せずに予測した面があります。コストの壁により、今後10年は労働市場を大きく脅かさない可能性があります。機械学習やロボット技術がさらに発展しても、代替されにくいロウコストの「人間にしかできない仕事」が存在するようです。ここでは、ロウコストの人間と安価な性能の良いAIロボット開発が、コラボしながら進展していくようです。このように、人間とAIの共生は、まだまだ続いていくようです。
